主日礼拝メッセージ                                                                                                                     2020年10月4日 

  「待っている魂がいる」

   マタイによる福音書9章38節
「だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

マタイによる福音書9章37‐38節(新約 p17 )

山岸 明牧師


  神がこの世に教会をたてられ、そして宣教の業を教会に託された。私たちには福音を伝えていく使命が与えられています。それはキリスト教という宗教を伝える のではなく、良き知らせである「福音」を伝えるのです。主イエスは仰された。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから収穫のために働き手を送ってくださる ように、収穫の主に願いなさい。』(37-38)

  この主イエスの思いはどこから来たのでしょうか?「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやさ れた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」(35−36)

  主イエスは一人一人が持っている痛み・苦しみ、悩み、思いをわが身の事として全身全霊で受け止めた。そして「飼い主のいない羊のようだ」と言った。羊は羊 飼いがいないと、道に迷い、飢え渇き、生きていく事ができない動物です。主イエスの目に映った彼らは、神に愛されている事も知らず、生きている意味を分か らず、闇の中をさ迷っている。あの羊と同じであった。彼らには「福音」が必要であった。だが働き手が少ない。そのために必要な事は神に願い求めること。

  私たちの現実は、伝道しても、福音を伝えても、なかなか実を結ばない現状に、疲れ果て、収穫の少なさに落胆して、なかば諦めていたのでないでしょうか。し かし、主の目からご覧になれば、収穫を待つ多くの人々の魂が既に満ちて色づき、福音を、救いを待ち望んでいる。伝道は主が備えてくださっている神の民との 出会いです。飢え渇く魂が大勢いても、福音の種が撒かれなければ、出会えないのです。しかし、主が備えてくださっている人たちのところに福音が届けば、そ れを受け入れ、主を信じる者となるのです。神の選びが先にあるのです。

  最後に、この私を神の働き人として用いてくださいという祈りもしていきたい。私を働き人にしてください、私を用いてください、チャレンジです。「涙と共に 種を蒔く人は、喜びの歌と共に借り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」(詩編 126:5)ご一緒に種を蒔き、喜びの借り入れをしましょう。

 
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