「父は霊であるから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければな
らない」(24)。主イエスから直接このみ言葉を聞いた一人の女性がいた。主イエスはこの女性に「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしの与
える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(14-15)と言われ、その御言葉通りに女性の心に生きた水がわき出て、まことの礼拝者
にされた。
キリスト教の歴史を見ると、礼拝するなと言われても礼拝をしてきた。礼拝をしたら迫害を受けるのに、なぜか?それは神を崇めたい、御言葉を聞きたい、賛
美したいという強い思いが心から湧き上がり、礼拝へと駆り立てていった。まことの礼拝者は礼拝しなさいと言われてするものではなく、礼拝せずにはいられな
くなるのです。
主イエスと出会ったこの女性は今まで5回の結婚と離婚を繰り返しきて、周りからは“ふしだらな者”として拒絶されていた。女性は別れるたびに傷つき、そ
れを癒すために、また他の人、また別れる、もっと傷つく、心は悲しみと憎しみが入り乱れて・・・幸せを求めつつ恋愛に依存していたのかも知れません。この
女性からどうして命の水がわき出できたのか?それは主イエスの「水を飲ませてください」(下から目線)。このみ言葉と主イエスの態度が彼女の心の扉を開い
た。主イエスは彼女のすべてを知ったうえで、女性を非難することなく、裁くことなく、逆に理解する者であった。
それから「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない」と言うと、女性は「その水を下さい」と言った。すると主イエスは突然「夫をここに呼んできなさい
と言った」(16)。この言葉は彼女にとって一番触れてほしくない言葉でした。何故なら、この事のために人生が辛いものになっていたからです。しかし、こ
の女性は「わたしには夫はいません」と正直に答えた。嘘をつくことも、聞き流すことも出来たのに。女性は本当のことを言った。それはこのお方(主イエス)
は絶対に裁かないと分ったから。そして主イエスの前に正直にすべてを告白したとき、彼女の心に命の水がわきだしたのです。