主日礼拝メッセージ                                                                                                                     2020年11月22日 

  「教会は神の家族」

山岸 明牧師

エフェソの信徒への手紙2章19‐20節(新約 p354)

  「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、
聖なる民に属する者、神の家族であり、
使徒や預言者という土台の上に建てられています。」
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 教会は神の家族です。それは血筋でも戸籍でもなく、主イエスを信じる信仰によってのみ結ばれています。「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者 でもなく、聖なる民に属する者、神の家族である。」(19) 故に私たちが主イエスから目を離したら、この集まりはただの人の集まりとなり、烏合の集団に なってしまう。私たち神の家族は主イエスの十字架のもとであり続ける家族なのです。

 今、家庭崩壊が続くこの現実の中で「教会の家族」に必要なこと、また求められることはなんでしょう。

 教会の家族は、常に外に開かれていなければなりません。家族的というのは、ときに閉鎖的になってしまい、他の人が入りづらくなってしまう。ですから教会の家族は常に主イエスの心を持ち、外から来る人を迎え入れるのです。

 の家族は、私たちが自己中心的な孤立主義に陥るのを防いでくれます。教会は礼拝を献げ、また御言葉の実践の場となります。「あなたがたはキリストの体で あり、また、一人一人はその部分なのです。」(コリント㈠12:27)とあうように、教会の中では個人プレーはありません。家族である教会は共に礼拝を献 げ、共に泣き、共に喜ぶ場なのです。

 教会の家族は、私たちの霊を成長させてくださる。聖書の中には「互いに」という言葉がたくさん出てきます。互いに愛し合う、祈り合う、励まし合う、忠告 し合う、仕え合う、赦し合う、献身し合う・・など、神が教会を通して果たすように望んでおられることです。これが家族の一員としての責任。私たちが成長し ていくためには他者との関わりが必要です。

 教会の家族は、私たちが信仰から落ちないように支えてくれます。私たちの中で、誘惑をまぬがれる事のできる人は一人もいません。状況が整えば、私たちは どんな罪にも陥ってしまいます。また、弱い私たちは定期的な礼拝から離れ、その他の集まりから遠ざかると霊的な命は生気を失い、最終的には息絶えてしまい ます。だから、私たちには教会という家族が必要なのです。


 
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