聖書は「待ち望む者」は、主に信頼と希望を持って待ち望めと教えます。信頼も期待も希望もなく、ただ我慢をして、苦しみや嵐が過ぎ去るのをじっと待つのではなく、辛いことや嫌なことがあっても、主が私たちに約束してくださった祝福を信じて待ち望むのです。
主は絶対者なるお方です。この絶対者なる主があなたを愛し、あなたを見捨てることはないと約束してくださっている。また絶対者なる主の言葉は永遠に変わ
ることはなく揺るがない。この絶対者なる主に信頼を置くとき、私たちは雄々しく、心を強められるのです。「雄々しくあれ、心を強くせよ」(14)。
今日のみ言葉に励まされ、主の約束を信じ、行動を起こした人がいた。モーセ亡き後、イスラエルの民を導いたヨシュアです。この民を導くにあたり、ヨシュ
アは心ひるむことも、途方に暮れることもあった。そんなヨシュアに主は、「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見
捨てることもない。」「強く、雄々しくあれ。」勇気を持ちなさい。しっかりしなさい。ふるい立ちなさいと励ました。ヨシュアは目の前の困難よりも信仰に
よって主の約束に立った。恐れに打ち勝つ秘訣、それは主を信頼することである
私たちの人生の歩みにも、信仰の行く手を遮るものが起きてくる。だが主に望みを置いて雄々しく、心を強くして歩みましょう。パウロは次から次にやってく
る不可能な問題に迫られ、生きる望みさえ失ったとき、「自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。」(コリン
ト㈡1:9-10)と言った。
あのモーセ、ヨシュアと共におられ、あのペトロやパウロと共におられた主が、今、私と共にいてくださる。「神様に望みをおく人は新しい力を受けて、鷲の
ように翼を張って上り、走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40:29)「主を待ち望め、雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。」