主イエスは仰せられた。「天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない」(ヨハネ3:13)。天から降って来た者、その方
こそ救い主「イエス・キリスト」である。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る
ためである。神が御子を世に遣わされたには、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」これがクリスマスの出来事です。「御子を信じ
る者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子を信じないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好ん
だ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。」(3:16−20)
主イエスは私たちを裁くためではなく、救うために来てくださった。しかし、人々は光よりも闇を好み、光を憎みました。どうしてなのでしょう。それは「そ
の行いが明るみに出されるのを恐れた」のです。教会に人々がやって来ます。そして神の愛を知って喜び、更に神を求めて行きます。そこで必ず一つの壁にぶち
当たります。それは、神の愛を知れば知るほど、自分の罪深さが分ってくる。愛されている自分が分ると同時に、その愛の中にあって自分の罪深さに気が付かさ
れてくるのです。光は私の中にある闇の部分も照らしてきます。
故に、人々はその罪を、闇を明るみに出されるのを恐れ、光のもとへ行くことを躊躇するのです。でも、ここで主イエスのお言葉に耳を傾けて頂きたいので
す。主イエスはあなたを裁くためではなく、救うために来られたのです。主イエスは大声で叫ばれます。何故あなたは闇にとどまるのか、そこはあなたのいる場
所ではない、闇に戻るのではなく、光にとどまりなさい。光はあなたの闇をあらわにするが、その闇を光に変えることができるから。「わたしは世の光である。
わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光をもつ」(ヨハネ8:12)。クリスマス、それは「見よ、暗闇に光が差し込んだ」。暗闇の世界から光の世界へ、
主イエスのおられない世界から、主イエスがおられる世界へ踏み出すのです。