主日礼拝メッセージ                                                                                                    2020年12月27日 

 愛に生きよう

山岸 明牧師

   ヨハネの手紙一4章21節
 「神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。
これが、神から受けた掟です。」

 
聖書: ヨハネの手紙一4章16−21節

 
   「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛がありま す。」(10節) 私たちは立派な人間になり、立派な信仰者になろうと努力します。それは素晴らしい事ですが、しかし、そこに神がとどまるのではなく、私たちが互いに愛し合 うところに神はとどまると仰せられた。「愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます」(16節)

  私たちは時々、一生懸命に相手を愛したが、相手は私の愛に答えようとしてくれないと言います。ここで神を知る者はどう考えるべきか、「私が 神を愛したのではなく、神が私を愛してくださった。」(10節) 私の思いがどうであろうと、神は私を愛し、私のために御子イエスを十字架に付けてまで愛してくださった。この神の愛を知るとき、私たちは隣人を愛そうとし ます。しかし、神を知らない者は、 また神を知識で知る者はこう言います。これでは神が仰せられた「互いに愛し合う」ことにはならない。私が愛したら相手も私を愛すべきだ、これこそが平等で はないか。私だけが愛したら不公平で損をするといって嘆きます。

 しかし、神が損得で私たちを愛したのでしょうか?損得で御子イエス様を十字架につけたのでしょうか? 本当に大切なことは相手を大切にすること、労わること、私たちが本当に力を注ぐべきことは愛する事です。 皆さんは家族を愛しているでしょうか。教会は家族です。互いに愛し合っていますか?それこそ吟味しなければなりません。

 私たちは家族や友人を愛せないことに悩み苦しむときがあります。嘆き叫ぶ事もあります。それが私たちのありのままの姿ではないでしょうか。愛し合うとい う事は、そういう事も含めて認め合い支え合うという事ではないでしょうか。そして、それは相手の悩みや苦しみ、嘆きや叫びをも認め受け入れる事です。きっ と社会の誰もが愛されたいと願っています。そして、愛される場所を求めています。安心できる場所を求めています。緊張を持たなくても良い場所を求めていま す。 教会こそがその場所でありたいと願いつつ、2021年も誰もが安らげる教会を目指していきましょう。


 
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