主日礼拝メッセージ                                                                                                    2021年02月07日 

 恐れるのは神様か人様か

山岸 明牧師

   「 マタイによる福音書10章28節                
「体は殺しても、魂も殺すことのできない者どもを恐れるな。
むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」

 
聖書: マタイによる福音書10章26−31節   
         


    
 「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(28)とある。主イエスはただ「恐れるな」と仰せられたのではなく、だれを恐れるべきか教えています。それは、「魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(28)。

1 主を恐れるとは、神の前に謙虚になること。
  神は私たち人間とまったく区別されるべきお方であることを知る。それは、私たちをいかようにもおできになる方の前に謙虚になることです。神は人間の高慢を 糾弾します。高慢とは、神を恐れず、神をあがめることをしない姿です。また、神なしで生きていけると考え、神に背を向ける生き方です。そこから、まるで自 分が神であるかのような言動が生れてくるのです。すべては神を忘れるところに闇ははびこるのです。

2 主を恐れることは、知恵の初めである。
 昔、エジプトの王は奴隷として領内にいるへブル人が力を増していくのをみて恐れをなし、へブル人の助産婦たちに、子どもを取り上げるときに、男の子の場合は殺すように命じました。しかし「助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた」(出エジプト記1:17)。この助産婦たちは見える王より、見えない神を畏れたのです。この大きな決断こそ、まさに神から与えられた知恵なのです。

3 主を恐れることは、人の恐れからの解放です。
 本当に恐れるべき方である神を恐れ、そのお方の前に真実に生きるならば、私たちは何一つ恐れることはないと仰せられます。それは「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている」(7)とあるほどに、私たちのすべてをご存じなる神が、私たちを愛し、私たちのすべてを守り、支え、導いてくださるからです。この愛を信じ、信頼することができるなら、私たちの信じる愛が、人の恐れを締め出してくださるのです。
「愛には、恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します」(ヨハネの手紙(一)4:18)。

「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」使徒5:29


 
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