主イエスの一行がベトファゲに来たときのことです。「イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。『向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろば
がつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なので
す』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」(1−3)と仰せられた。
今日、聖書は私たち一人ひとりに「主がお入り用なのです」と言って招いておられます。主があなたを必要とされているのです。私なんか子ろばのように弱くて何もできません。そのように思われている方がいれば、その方こそ、主イエスは必要だと言われるのです。
主イエスがエルサレムに向かわれるとき、選ばれ乗られたものは馬でもなく、大きなろばでもなく、愚図で弱々しい子ろばでした。主のお選びは人間の知識を
超えています。私たちのことをすべてご存じのうえで、私を選び、招かれ、用いようとされるのです。それは、私たちが神の業に必要な大切な器だからです。そ
こには、経験のなさ、欠点、弱点、失敗がいくらあっても問題ではありません。なぜ、あのような人が・・と思うような選びであっても、それが神の選びなので
す。
主イエスは仰せられた。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネ15:16)私が主イエスを選んだと思っておられるかも知れませんが、そうではありません。主イエスが私たちをお選びになったのです。
肝心なのは人があなたの人生について何というのかではなく、神が何といわれるのか、それが大切です。主が今あなたを必要としている。あなたを用いたいと
願っている。主が皆さんの人生にどんな目的を持っているのか楽しみです。こんな私だけど、主が私の人生に目的を持っておられるなら、喜んで用いられたいで
す。神はあなたを必要としています。それに耳を傾けていくとき、私の人生の意味が見えてくるはずです。「主がお入用なのです」