主日礼拝メッセージ        イースター礼拝                                                                                     2021年04月04日 

 疑いを乗り超えて

山岸 明牧師

   ヨハネによる福音書20章29節         
イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。
見ないのに信じる人は、幸いである。」


 
聖書:ヨハネによる福音書20章24−29節 (新約p210) 


 主イエスは金曜日に十字架につかれ命を捨てられた。この死によってすべてが終ったと誰もが思った。しかし、日曜日の朝、主イエスは死から復活された。キ リスト教会が日曜日に礼拝を持つのは、この復活から始まっているのです。主イエスの復活は、私たちの人生において、どんな意味を持つのか?これは科学の問 題でも、医学的な問題でも、常識の問題でもありません。これは信仰の問題です。主イエスが復活して今も生きておられる。それを信じるか、信じないかという 信仰の問題です。主イエスは仰せられた。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

 主イエスが復活されたとき、弟子たちは何をしていたのか、はっきりと聖書に記されています。「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵を かけていた」(20:19)。弟子たちは恐れと絶望から息をひそめて隠れていた。そこへ復活された主イエスが現れ、彼らの真ん中に立ち「あなたがたに平和 があるように」と言われた。弟子たちは主イエスを見て喜んだ。しかし、そのときにトマスはいなかった。仲間から主の復活を聞かされたトマスは頑なに信じよ うとはしませんでした。八日の後、トマスのもとに主イエスが来られ、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばして、わ たしのわき腹にいれなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と仰せられた。トマスは答えて「わたしの主、わたしの神よ」と告白した。

 復活がどんなに素晴らしい事であっても、自分と関係のない出来事とするならば、私たちには何の力にも喜びにもなりません。しかし、復活された主イエスを 信じるなら新しい命を得て、生まれ変わる事ができます。何故ならば「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(25) とあるからです。
 わたしたちの人生の答えは聖書が持っています。復活の主イエスと共に歩む者は、人生で色々な問題が起きても、必ず解決の道を、忍耐する力を、それを乗り 切る力を与えてくれます。そして、私たちは人生の中で死を打ち破って、世に勝利された主イエスの愛を体験するのです。神様が与えてくださる新しい命をぜひ 受け取り、新しい命に生きよう。


 
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