皆さんは生きる基準をお持ちでしょうか?物事を判断するとき、善悪を判断するとき、何かを『する・しない』を判断するとき、いろいろな基準があります。例
えば、法律であったり、常識であったり、良心であったり、私たちは何かを基準にして生きています。しかし、これらのものは絶対ではありません。法律も変わ
れば常識も変わる、良心も状況によって変わります。つまり、私たちの基準は絶対ではないのです。
主イエスが生きた時代は律法と言う絶対的な基準がありました。すべては律法に照らし合わせて判断をしていました。では律法の時代、主イエスは何を基準に
生きていたでしょうか。律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。『心を尽く
し、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これがもっとも重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣
人を自分のように愛しなさい。』」(マタイ22:35−39)。
主イエスの生きる絶対的な基準は律法ではなく「愛」でした。それは決して律法を否定するものではありません。律法は大切なものだと言っています。しかし律
法は完全ではなかった。パウロはコリント13章で「わたしはあなたがたに最高の道を教える」と言った。人生にはいろいろな道がありますが、パウロはこれこ
そ「最高の道」だと言う、それはどんな道なのか?
パウロは続けて言った。「山を動かすほどの信仰をもっていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人人のために使い尽くそうとも、誇ろうと
してわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしには何の益にもならない。」パウロの言った最高の道とは「愛の道」、それは愛に生きること。神は私
たちに愛する生き方を願っています。それも私たちの持つ愛ではなく、主イエスから愛された愛を持って生きること。それが私たちにとって最高の生き方なので
す。これからの人生「愛する」ことにチャレンジしていきましょう。