主イエスは山に登られ、弟子や群衆に向かって教えられた。山上の説教である。(マタイ5:1)その教えの後半でこのように仰せられた。「求めなさい。そ
うすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(7:7)ところで、主イエスは私たちに何を求め
よと仰せられたのでしょうか?困っていること、欲しいもの、必要なもの、手に入れたいもの、何でも良いから、得られるまで熱心に求めなさいと仰せられたの
か。そうではありません。主イエスは「神を求めなさい」と仰せられた。求めればあなたに必要なものは神が与えてくださる。
だから、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい、そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)私たちには、神という確
かな後ろ盾があり、支えがある。だから失敗を恐れず、失望せず、安心して、臆することなく歩みなさいと仰せられるのです。
更に主イエスはこのことをもっと分かりやすく、人間の親子にたとえて話をされました。「パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚をほしがる
のに、蛇を与えるだろうか。このようにあなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父
は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」(9-11)
不完全で、欠けの多い人間の親でさえ、子どもには良いものを与えようとする、ならば完全なる全知全能の神は、あなたに必要なものを与えないはずがない。
パウロは「主を信じる者は、だれも失望することがない。」(ローマ10:11)と言いました。また「神はご自分を求める者たちに報いてくださる方であるこ
とを、信じていなければならないからです。」(ヘブライ人11:6)朝求めて夜に与えられることは無いかも知れない。コヘレトは「何事にも時がある」と
言いました。ですから、神のご計画で3年かかる人も、5年かかる人もいるだろうが、しかし必ず与えられる。だから諦めず、失望せず、忍耐強く信じて前進し
ていきましょう。