主日礼拝メッセージ                                                                          2021年08月22日 

「これに聞け」

山岸 明牧師

マルコによる福音書9章2−8節 (新約p78)
「すると、雲が現われて彼らを覆い、雲の中から声がした。これはわたしの
愛する子。これに聞け。」



私たちと共にいてくださる神は何も語らず、何も応えてくれない、ただの置物で はありません。私と共にいてくださる神は、今日も私に語りかけてくださるお方です。私たちは神が語ってくださるお言葉を聞きもらさずに、心にとどめたい。 心を閉じ、耳をふさいでしまっていたらもったいないことです。

私たちは生活の中で様々な声を聞いています。家族や友人の声、自分の内なる欲望の声、誘惑する者の声などです。それらの声に惑わされ、迷ったり、傷ついた り、苦しんだり、心を痛める事が度々あります。家族や友人の声に耳を傾けるのは大切ですが、私たちが本当に聞かなければならない真実なる声は?

「イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて、高い山に登られた。すると、イエスの姿が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、モーセとエリヤが現われて、イ エスと語り合っていた。」(2−4)弟子たちにとってモーセは偉大な信仰者であり、律法のそのものです。エリヤは最大の預言者です。この偉大な二人と主イ エスが話をしているとき、突然、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子、これに聞け。」(7)

「これに聞け」と言われた「これ」とは誰のことか?モーセか、エリヤか主イエスか?「弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエス だけが彼らと一緒におられた。」(8) 弟子たちが聞いた「これに聞け」は主イエスであった。また、弟子たちがこの声を聞いたとき「恐れた。」とある。私たちがこの世で生活をしながら主イエスの お言葉を聞いていく事はある意味、恐ろしい事です。何故ならば、神の思いは私たちの知識や判断、この世の常識を遙かに超えているからです。そこに従がおう とするとき不安になり、主イエスの声よりも、世の声を優先してしまうのです。

「聞くだけで終わる者になってはいけません。」(ヤコブ1:22)聞いて、信じて、信じ続けるとき、私たちの不安と恐れは、喜び、感謝、平安に変わってい くのです。これこそ主の恵み。故にサムエルのように「主よ、お話しください。僕は聞いております。」このような姿勢で神の言葉を聞いていきましょう。

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