主日礼拝メッセージ                                                                          2021年09月12日 

大胆に恵にすがろう

山岸 明牧師

マタイによる福音書15章21−28
「そこで、イエスはお答えになった。

婦人よ、あなたの信仰は立派だ。
あなたの願い通りになるように。

そのとき、娘の病気はいやされた。」


 当時の宗教の教えは非常に厳しいものであった。その中でユダヤ人は異邦人と接触することを厳しく禁止されていた。「ユダヤ人が外国人と交際をしたり、訪 問したりすることは、律法で禁じられています。」(使徒10:28)とある。それは、自分たちは清い者であり、異邦人は汚れた者である。ユダヤ人は、自分 たちの信仰を守るために、決して異邦人の中に入ろうとはしませんでした。

 しかし、主イエスはその境界線を破り、自らティルスとシドンの異邦人の地に入って行かれた。すると一人の女性が来て、主イエスに憐れみを請うた。「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください、娘が悪霊にひどく苦しめられています。」(22).

 助けを求める女性に対して、「イエスは何もお答えにならなかった。」(23)主イエスは助けを求める人を見捨てるようなお方ではないはずです。しかし、 女性はなおも主イエスに助けを求めました。すると主イエスは沈黙をやぶり仰せられた。「わたしはイスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていな い。」(24)。
 尚も彼女は諦めずに、今度は主イエスの前にひれ伏して「主よ、どうかお助け下さい。」(25)と叫んだ。しかし、主イエスは「子供たちのパンを取って子 犬にやってはいけない。」と仰せられた。犬とは汚れたものとして、当時、ユダヤ人が異邦人を見下して使っていた言葉です。子犬といえど犬です。彼女は「主 よ、ごもっともです。しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」(27)おこぼれ落ちるパン屑で構いません。私にください。
 イエスは彼女を見て仰せられた。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように。」(28)主イエスが褒められた立派な信仰とは何か? もし彼女が、主イエスの沈黙で諦めていたら、もし彼女が、主イエスに断られたことで諦めていたら、もし彼女が、主イエスの言葉を侮辱と思って怒って諦めて いたら、この問題の解決、救いはなかった。ここに私たちの信仰も見習いたい。諦めずに大胆に主の恵みに預かりたいと願う信仰が彼女の願いをかなえた。主は そのような信仰を私に求められているのです。

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