主日礼拝メッセージ                                                                          2021年10月24日 

当り、外れは運まかせ?

山岸 明牧師

マタイによる福音書17章20節

「イエスは言われた。信仰が薄いからだ。
はっきり言っておく。
もし、からし 種一粒ほどの信仰があれば、
この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』
と命じても、そのとおりになる。

あなたがたにできないことは何もない。」



   最近、ある人からこれは運命だから仕方がない、変えることはできない、と言う言葉を何度か聞きました。運命とは、あらかじめそうなるように定められてい て、人間の力ではそれを変えることができないという考え方です。運命を類語で見ると、敗北、諦めとなっています。例えば『こんな世の中で将来に希望なんて 持てない。』と言うときに、人は運命論の犠牲者になっているのです。主イエスは私たちに運命論で生きるのではなく、信仰によって生きなさいと仰せられてい ます。

 ある父親が主イエスのところに来て、ひざまずいて言った。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。お弟子さんたちのところに 連れてきましたが、治すことができませんでした。」それを聞いた主イエスは「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。」(17)と言って嘆かれた。

 「弟子たちはひそかにイエスのところに来て、『なぜ、わたしたちは悪霊を追い出すことができなかったのでしょうか』と言った。イエスは言われた。信仰が 薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。 あなたがたにできないことは何もない。」(19-20)と仰せられた。

 弟子たちに信仰がなかったのか?薄いけどありました。しかし、その信仰が生きていなかったら、死んでいるのと同じです。私たちはどうでしょうか?与えら れた信仰は生きていますか?からし種とはもっとも小さな種ですが、成長すると大きな実を結びます。主イエスは信仰もこれと同じだと仰せられた。

 主イエスを信じ、信頼するという小さいけれども、からし種一粒の信仰があれば、私たちの行く手をふさぐ山のような大きな困難や問題や試練が立ちふさがろ うとも、そのすべてを打ち破り、乗り越える事ができる。「あなたがたにできないことは何もない。」と仰せられた。私たちは運命論で生きるのではなく、から し種一粒の信仰で生きるのです。


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