本日の聖書個所では3つのことを実践するようにと強く勧めています。
初めに「神に近づきなさい。」(22)
次に「希望を持ち続けなさい。」(23)
最後に「愛と善行に励み、集会を怠らず励まし合いなさい。」(24−25)
当時、人々は神殿に行って礼拝をささげていた。神殿の一番奥に至聖所があり、そこは大きな垂れ幕で遮られていた。その至聖所には大祭司のみ入ることが許
され、神と人との執り成しをしていた。故に信者が神に近づくことなど不可能であった。しかし、主イエスが十字架につかれ、息を引き取られたとき、神殿で不
思議なことが起きた。それは「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」(マタイ27:51)のです。神と人を分けていた幕が主イエスによって取り
除かれたのです。もはや神と私たちの間には遮るものは何もありません。私たちは大胆に神に近づくことができるのです。
次に希望を持ち続けること。私たちの希望は十字架と復活の主イエス・キリストであります。この希望が揺るがぬようにするために、私たちはいつもこの希望
を告白し続けるのです。「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するから
です。」(コリント㈡4:18)
最後に、愛と善行に励み、集会を怠らず、励まし合いなさい。集会を怠るなとあるが、私たちが教会の交わりから離れるとき、それは霊的に後退し、孤立主義
に陥るときです。すると光の前にでるのが辛くなったり、聖書の言葉に疑いを抱きはじめたり、間違った教えに惑わされたりし、傲慢になりはじめる。故に教会
から離れないように、信仰の火が消えないように、励まし合うのです。また、私たちの中で、誘惑から逃れられる人は一人もいません。状況が整えば、私たちは
どんな罪にも陥ってしまいます。私は信仰があるから大丈夫・・これは一人よがりの信仰で、一番あぶない状態です。私たちはそんなに強い者ではありません。
故に私たちは互いに愛し合い、祈り合い、励まし合い、忠告し合い、仕え合い、赦し合うのです。これは神が私たちに望んでおられること