皆さんは、パウロさんにどのようなイメージをお持ちですか?豪快な人、強い人、怖い人、厳しい人、雄弁家、パウロ自身は自分のことを「土の器」だと言っ
た。土の器とは、傷つきやすく、ひび割れたり、穴が開いたり、大きな衝撃を受けると壊れてしまうもろいものです。また、土の器に価値などは全くありませ
ん。パウロは自らを弱くて価値のない者だと告白しているのです。
また、パウロはコリントの手紙の中で、恐れに取りつかれたり、ひどく不安であったり、耐えられないほど酷く圧迫されて、生きる望みさえ失っていたこと、
安らぎがなく、ことごとに苦しんでいたことを記しています。更にパウロのことを「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話しもつまら
ない」(コリント㈡10:10)と言う人たちがいた事も記しています。
私たちもパウロと同じように「土の器」ではないでしょうか。傷つきやすく、壊れやすく、弱い者。だが、その弱さを隠し、懸命に強くなろうとしてきた。パ
ウロは、その思いから解放され、この弱い土の器の中に、今は宝を持っていると言った。その宝とは主イエスのことである。この宝ゆえにパウロは人間の知恵で
は計り知れない力を体験するようになった。その体験とは、困難の中に働く強さでした。
パウロの体験した力とはどういうものか。「四方から苦しめられても行き詰まらない。」「途方に暮れても、失望しない。」「虐げられても見捨てられず。」
「打ち倒されても滅ぼされない。」という体験でした。私の器の中に主イエスがおられるなら、私たちは自分の弱さを嘆くことはありません。もっと立派な器
だったらなどと嘆いたり、ひがんだりする必要もありません。主イエスは仰された。「わたしの恵みはあなたに十分である、力は弱さの中でこそ十分に発揮され
るのだ。わたしは弱いときにこそ強いからです。」(コリント㈡12:9−10)
土の器には傷もあり。穴も開いています。しかし、器の中で輝く光が、傷や穴の開いた隙間から光を放ち、暗闇の世界を照らしていくのです。傷が多ければ多いほど、多くの光を放つのです。あなたは地の塩、世の光です。