主日礼拝メッセージ                                                                            2022年1月23日 

これこそ主の祝福

山岸 明牧師

ヨハネによる福音書6章1−15節
「さて、イエスはパンを取り、
感謝の祈りを唱えてから、
座っている人々に分け与えられた。
また、魚も同じようにして、
欲しいだけ分け与えられた。」 _



  
 聖書には主イエス が行われた奇跡の話がたくさん出てきます。最初は本当だろうかと疑った。また大きな奇跡になればなるほど、そんなことはできるはずがないと思った。私は信 じられなくて、納得できなくて、これを誰に相談したら良いのか悩んだ。牧師に聞いても、それは本当だよ、と言われるに違いないと思い聞かなかった。そこで 私は何人かの人に聞いた。 _
 ある人はこう言った。自分は見たわけではないので分らない。私は、そうですよね、誰も見た事 がないから分らないですよね、と言って安心した。もう一人の方はこう言った。聖書に書いてあるのだから間違いないよ、これが予想していた一番の答えでし た。聖書に書いてあるから、だから何だよ、と言いたくなった。そんな中で、ある方の言われた言葉が、私の心に突き刺さった。その方は単刀直入に、神なら何 でも出来るよ。確かに、そうだ。私たちは人間ではどうすることも出来ないことを神に願っているのに、そんなことが出来るはずがないというのは矛盾している な、神なら何でも出来る、そう信じたとき、奇跡は驚くことでも、騒ぐことでも、特別なことでもなかった。できて当然。もし皆さんが、この奇跡の話は本当で すか?と聞かれたら何て答えますか。

 主イエスが五つのパンと二匹の魚で大勢の人々の腹を満たした奇跡、主イエスは 弟子たちに「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」(16)仰せられ、弟子たちは、「ここに五つのパンと二匹の魚を持っている少年がいます。けれど も、こんなに大勢の人では、何の役にもたちません」(9)と言った。そこで主イエスは「それをここに持って来なさい。」(マタイ14:18)と仰せられ、 感謝の祈りをして人々に分け与えられると、すべての人々が食べてお腹を満たした。 _
 人の目に、これが一体何の役にたつのか、と思う小さなつまらないものでも、たとえ、わずかな ものであっても、感謝して主イエスの前に差し出していくなら、主イエスは喜んでそれを受け取り、それを豊かに祝福し用いくださるのです。神に出来ないこと は何一つない、この信仰を持って歩みましょう。




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