ある人が今の日本の現状を「無縁社会」と言いました。それは人と人との関係が希薄となりつつある一面を言いあらわしたものです。特に日本では家族として
の絆を築くことが難しい時代でもあります。家族は壊れ、絆は薄れ、苦楽を共に出来ないほどに病んでいる状態です。一方で他者との関係を失い、孤独の中で生
きている人がとても増えている。
同じように教会でも互いがどのように関係を築いていけばよいのか分からず、交わりを避けるようになり、煩わしいとさえ思うようになっている。人との交わ
りを失うということは、単にさびしいとか、孤独だ、というだけでなく、自分という存在さえも失わせてしまう。ですから聖書は言います。人間は一人で生きる
存在ではなく、神との交わりの関係、人との交わりの関係の中で生きる存在であると。他者との関係の中でこそ、自分の存在を確認できるのです。
教会で使う言葉に「交わり」があります。それはコーヒーを飲んで、お菓子を食べて楽しいひと時を過ごすこと、それも大切な交わりです。では教会の使命、
働きとしての「交わり」とは何でしょうか。聖書で使われている交わりとはギリシャ語で「コイノニア」と言います。そこには分かち合う、共有するという意味
があります。では何を分かち合い、共有するのでしょうか?それは神の愛を、恵を分かち合うのです。それが教会の交わり・コイノニアです。
主イエスはなぜ教会に交わりの働きを託されたのか。私たちは本当に弱い者です。キリストの体である教会から離れるときに、私たちは霊的に下降線をたどり
始め、霊的な命は生気を失い、最終的には息絶えてしまいます。だから、私たちには教会という霊的家族が必要なのです。「彼らに父と子と聖霊の名によってバ
プテスマを授けなさい。」(マタイ28:19)それは、神の家族として教会の交わりの中に生きることなのです。