主イエスは十字架上で七つの言葉を語られた。第一言「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(34)聖書の罪とは神との関係において問われていることです。罪とは神との関係が壊れていること、また罪人とは、神との関係が壊れたままで生きる人です。更に聖書はこの「罪が支払う報酬は死」だと言います。
主イエスの十字架とは、私たちの受ける罪の刑罰を代わりにその身に受けて下さった。これは神の愛です。この愛を受け入れたとき、私の罪は赦され、神と共に永遠の命に生きる者となるのです。「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主イエス・キリストによる永遠の命なのです。」(ローマ6:23)
十字架上の第二言「あなたは今日、わたしと一緒に楽園にいる。」主
イエスの両脇に二人の犯罪人が十字架につけられた。一人は主イエスをののしり「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」と言った。言葉は
乱暴だが彼の言っていることは、あなたは救い主です。この十字架から降りて、私たちを救ってください、です。しかし、彼の願いは受け入れられなかった。な
ぜなら、十字架から降りないことが神の御心であり、救いの完成だったからです。私たちの救いは十字架の痛みのうえに成り立っているのです。「そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたは癒されました」(ペトロ一2:24)。
もう一人の犯罪人は主イエスの隣で、「父よ、彼らをお赦しください」という祈りを聞いていた。そして御国においでになるときには、わたしを思い出してください。(私の罪を赦し、私を救い、天国に連れて行ってください。)主イエスの答えは「はっきり言っておくが、あなたは今日、わたしと一緒に楽園にいる。」(43)でした。主イエスの救いの恵みは、この十字架の愛を信じたときから始まるのです。「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に表して救われるのです。」(ローマ10:10)