ルカ福音書を締めくくる最後の24章には、失望の中にある弟子の二人がエマオという村に向かっている途中で、復活された主イエスに出会って経験した喜び
と幸いが記され、その後、他の弟子たちにも現れてくださった喜びと幸いが記されています。最後には昇天される主から祝福を受け、喜びにあふれて神をほめた
たえる幸いが記されています。弟子たちにとって復活された主との出会いと経験は、感動と喜び、希望に満ち溢れて、信仰者としてこれ以上のない喜びとなって
います。これで十分と思えますが、主イエスはこれで終わりではないと言った。そして「高いところからの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」(49)それはペンテコステの日に聖霊が降られるという約束でした。
今、弟子たちは復活の主と共にいて感動し、この喜びを誰かに伝えたいと思っている。私たちも大きな感動を得たとき、それを誰かに伝えたいと思う。しか
し、主は聖霊を待ちなさいと仰せた。何故でしょう。それは、これから弟子たちが伝えるところは、愛に冷めきっている世界。真理や正義が踏みにじられる世
界。弟子たちが一生懸命にキリストの愛を、赦しを、救いを、永遠の命を、希望を語っても、簡単に受け入れる世界ではない、弟子たちが語れば語るほど迫害を
受けるところ、だから主は聖霊の力を受けなさいと言った。「あなたがたの上に聖霊が降ると,あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりではなく、ユダヤとサマリア全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒1:8)
復活の主と出会い、喜びで満たされただけでは不十分なのです。ペンテコステが必要だった。彼らは喜びにあふれ神をほめたたえていたが、その信仰は、個人
的な領域のものです。神のご計画は、このあと、聖霊を受けたひとり一人が教会を形成し、地の果てまで福音を宣べ伝え、キリストの証人となることです。本当
の喜びと祝福は聖霊と共にあることです。今の時代はもうすでに聖霊が降っている時代。今は聖霊なる神が私たちの応答を待っておられる。私たちが心を開いて
聖霊の力を求めるなら、聖霊は喜んで来て力を与えてくださいます。「求めなさい、そうすれば与えられる」聖霊来たれり。