主日礼拝メッセージ                                                               2022年06月19日



「悲しみ、嘆き、泣きなさい」   
山岸 明牧師

ヤコブの手紙4章1−10節
「悲しみ、嘆き、泣きなさい。
      笑いを悲しみに変え、喜びを憂いに変えなさい。」

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 ヤコブは「悲しみ、嘆き、泣きなさい。」と言った。これらのことは社会ではあまり歓迎されないものです。悲しんだり、嘆いたり、涙を流すのは弱さのように思えてしまったり、ネガティブなものに捕らえられ、中々、表に出すことはできません。故に誰にも言わず、誰にも見せず、隠しておきたいものです。
しかし、ヤコブは「悲しんだり、嘆いたり、涙を流す」ことは重要であると言った。何故なら、悲しむという感情は神から与えられているものなので、悲しい時 に悲しむ事ができなかったり、嘆くことができなかったり、泣きたいのに、泣く事ができないのは、とても辛い事になってしまうからです。

 ここで問題は、人生に起きる悲しみをどう対処していくかということ。聖書に「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。」(コリント二 7:10)とある。つまり、悲しみには健康な悲しみと、不健康な悲しみがあると言います。悲しむことは自然なことですが、それをそのままで終らせない。

 健康な悲しみへの対処は、悲しみ、嘆きはどんなことでも主イエスの前に持っていき、主イエスに結びつけていくこと、そうすれば必ず主イエスの慰めを受ける事が出来る。更に、主イエスの慰めはそれで終わらず、「夕暮れ時には泣き悲しむことがあっても明日には喜び歌わん。」(詩編30:5)とあるように、私たちの悲しみと嘆きの涙は、喜びと賛美に変えられるのです。健康的な悲しみ、嘆きは、主イエスからの慰めを豊かに受けること。そのとき「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」(4)。このみ言葉を体験するのです。

 一方で不健康な悲しみがある。悲しみの原因は色々です。あの人にこう言われた。裏切られた。私がこうなったのはあの人の責任だ、社会の責任だ、また私は 駄目な人間だ、何をやっても駄目だ、これで終わる悲しみは、この世に結び付いていってしまう。そして何十年とその悲しみを抱き、そこから抜け出せなくなっ てしまう。それがこの世の死をもたらす不健康な悲しみです。「悲しみ、嘆き、泣きなさい」悲しむことを避けてはならない。なぜならばそこに真実があるから です

 
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