主日礼拝メッセージ                                                               2022年06月26日

恵みに生かされて」   
山岸 明牧師

ルカによる福音書17章11-19節
「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、

大声で神を賛美しながら戻って来た。
そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。」 


 主イエスがある村に入られると、重い皮膚病(らい病)をわずらっている10人が遠くの方から声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください。」と叫んだ。彼らは社会から見捨てられ、人里離れた場所に追いやられていた人たちであった。すると主イエスは彼らに、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい。」(14)と言われた。当時、らい病が治ったかどうか判断する権限を持っていたのは祭司であった。主イエスの御言葉に従った10人は、祭司のもとに向かう途中で清くされた。

 ここに大切なメッセージがあります。彼らは主イエスから「祭司のもとに行きな さい。」と言われたときには、まだ癒されてはいませんでした。主イエスの御言葉を信じて歩み出した途中で癒されたのです。これが信仰です。信仰の世界は、 分かったから、納得したから、見たから、信じられるのでものではありません。主イエスを信じたら分かる世界なのです。

 さて、「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。」(16)イエスは言われた「清くされたのは10人ではなかったか。ほかの9人はどこにいるのか。」(17)神の恵みはすべての人に平等に注がれました。たが、主イエスのもとに感謝するために戻って来たのはサマリア人一人だけだった。聖書では主イエスの足もとにひれ伏す行為を「礼拝」と呼んでいます。サマリア人は礼拝するために戻って来たのです。

 主イエスは戻ってきたサマリア人に言った。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」(19。 彼らはみな、自分たちを追いやった社会に戻っていった。しかし、サマリア人は礼拝をして社会に戻ったのです。私たちも霊と真を持って神を礼拝し、それぞれ の場所に歩みに踏み出すのです。私たちの住む社会は冷酷な社会で、自分の居場所さえ奪われることがあります。しかし、主イエスの恵みの中に自分の居場所を 置けば、たとえ戻る場所がどのようなところであっても、主イエスの恵みに生かされる時、生き方が変えられ、喜びと感謝の中に生きることができる。これぞ救 いの恵み。

 
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