主日礼拝メッセージ                                                               2022年07月03日

キリストの弟子になろう」   
山岸 明牧師

ヨハネによる福音書13章31−35節
「互いに愛し合うならば、

それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、
皆が知ることになる。」  


 主イエスは仰せられた。「わたしの言葉に留まるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。」(ヨハネ8:31)キ リストの弟子とは御言葉に留まる人、それは信じた御言葉の中に生き続けることです。私たちは神に愛されている者です。ならば愛されている自分を生きるこ と。私たちは主イエスの十字架によって、罪赦された者です。それを信じるなら、赦された者として生きること。主イエスが共におられる。それを信じるなら、 その御言葉の中に生きること、そして、新しい掟「互いに愛し合いなさい。」(35)に生きること

 人は関係が悪くなると、互いに愛し合うのが難しくなります。嫌いな人とは付き合わない、好きな人とは付き合う、それが世の常識です。しかし主イエスの御 言葉に留まり続けると、関係が悪くなっても、私の内側から、それでも愛していきたい、赦したい、という思いが湧き上がってくる。それは、私の内なる聖霊が 働いてくださり、「互いに愛しなさい」という世界に導いてくださっているのです。

 「互いに愛し合いなさい」どうしたらそれが出来るのか?この戒めの前に、もう一つ重要な戒めがあります。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。隣人を自分のように愛しなさい。」神を、隣人を愛する。愛することをしたとき、愛し合う世界が実現するのです。
私たちは愛され、赦され、理解され、認められ、受け入れられることを強く求めます。しかし、愛されることだけを求めるなら、互いに愛する世界は出来ないのです。それは逆に、愛を奪い合う世界です。主イエスが仰せられたのは「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

 弟子は「互いに愛し合う」ことにおいては諦めてはいけません。弟子は愛することにおいて失敗することもあるが、主イエスは完ぺきな弟子など求めてはいま せん。私たちはこれからも御言葉に留まり、御言葉に押し出され、弟子として歩みましょう。そして愛することにチャレンジしましよう。
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