私たちは今日も、主の招きに応えてこの場に集いました。考えて見ますと、私たちは主から招きを受けるような立派な人間でもなく、功績など何一つないのに、
ただ、主の一方的な憐れみと恵みによって、私たちは教会に招かれたのです。主イエスによって招かれた私たちは、その招きに相応しい歩みをしたいものです。
パウロが書き送ったコリントの教会の人々は、主の招きに相応しい歩みをせず、教会の中で互いに争い、裁き合っていた。パウロは、教会はキリストの体だと言われた。「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。」(14)、
それぞれが各器官で、ある人は手であり、ある人は足であり、ある人は目であり、耳であり、口である。みんな集まって一つの体である。だから互いに違いを認
め、尊重し、違いを受け入れていく、そして主体を自分に置くのではなく、また、相手に主体を置くのでもなく、常に教会の頭である、主イエスに主体を置きな
さいと言われた。
主イエスの選びと招きは偶然ではなく、あなたを必要としたから招かれたのです。その目的は?一つに、一人ではできないことをするためです。一人でできるな
ら集まる必要はありません。主イエスが教会に一番望んでいることで一人ではできないこと、それは互いに愛し合うことです。
次に、私たちに福音が託されている。それは言葉だけではなく、行いを通して、祈りを通して、存在を通して、伝えるべきメッセージがある。それは今、生き
ている人たちが一番聞きたいこと、それは愛、赦し、励まし、希望。あなたは愛されている。人生やり直せる。あなたの人生には大逆転がまっている。マイナス
がプラスになる。そして、あなたには天国が約束されている。私たちが伝える福音は多くの人が待っている良き知らせ、私たちは心を一つにして頭である主イエ
スにしっかりつながり、一つの体として、すべての賜物を使い切って、教会の使命を果たしていきましょう。