主日礼拝メッセージ                                                               2022年08月07日

わたしの使命」   
山岸 明牧師

    創世記1章26節
「神は言われた。我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。

そして海の 魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
 主イエスの十字架の愛はすべての人々の上に平等に注がれています。クリスチャンであろうとなかろうと、善人の上にも、悪人の上にも関係なく、すべての人たちの上に一方的に注がれています。その中にあって主イエスは「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16)と仰せられた。神がなぜ、わたしを選んだのか、その目的と使命は何か?使命とは字のごとく、使う命と書きます。私に与えられた命をどのように使ってほしいと神は望んでおられるのか。

 聖書には人は神によって造られたと記されている。「神は言われた。我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」(創世記1:26)。人間だけが神に似せて造られたのです。それは、私たちの内に霊を宿し、命を与えられたという事です。「主なる神は人をつくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(2:7) 命は神から与かりもの。故に命は尊く、そして、その命の使い方が大切なのです。

 次に、私の使命を知るには、主イエスを知ることです。主イエスはこの世に来た目的と使命を次のように言っています。「人 の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(ルカ19:10)「わたしは真理について証をするために生まれ、この世に来た。」(ヨハネ 18:37)「わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光としてこの世に来た。」(ヨハネ12:46)「ほかの町にも神 の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」(ルカ4:43)

 神が私たちを選ばれ、クリスチャンになったときから、主イエスの使命と私の使命とは切り離す事の出来ない関係にあるのです。「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。」(ローマ8:29)とある。ならば私たちは必然に主イエスの使命を受け継ぐ者なのです。キリストは教会の頭です。私たちの使命は教会に仕え、キリストの使命を実践していくのです。この使命に従って生きていくならば、使命を果たす上で必要なサポートは必ず、神が与えて下さいます。