主日礼拝メッセージ                                                                        2022年10月31日


今こそ喜び、祈り、感謝する
  

山岸 明牧師

テサロニケの信徒への手紙一5章16〜18節
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、
神があなたがたに望んでおられることです。」


  パウロは言った。「いつも喜んでいなさい」「絶えず祈りなさい。」「どんなときにも感謝しなさい。」(16-18)これは命令形で語られています。しか し、「いつも、絶えず、どんなときにも」となると、そんなことできません。そもそも喜びや感謝は命令されてすることではありません。パウロは何を持ってそ う言うのでしょう。18節後半に「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」と言った。

 生涯の4分の1を牢獄で過ごし、多くの艱難・苦難の中にあって、喜びと、祈りと、感謝の源は、死から復活された主イエスにおいて可能であった。「あなた がたは世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」(ヨハネ16:33)この偉大な主がいつも共にいて、私を守り、私を 導いてくださっている。この主イエスにあって喜びなさいと言った。
 
「絶えず祈りなさい。」喜びにも、感謝にも祈りが必要です。主イエスはこう祈った。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願い をいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。」(ヨハネ11:41−42)祈りが聞かれる前から感謝をしている。これは神に対する絶対的な信頼 です。主イエスは「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」(マルコ11:24)主イエス への信頼と確信を持って絶えず祈り続けましょう。

 「どんなときにも感謝しなさい。」感謝は恵みから生まれます。恵みとは無代価で、無条件で、一方的に与えられるもの。神が人間に与えた最高の恵みはイエ ス・キリストです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)私たちがどのような苦しみや悲しみに陥っていても、自分 を取り巻く状況が絶望的で、何の希望も持てないと思う事があっても、私たちを愛して下さる主イエスの恵みに心をとめるとき、そこから湧き出る「喜び、祈 り、感謝」がいつでも、絶えず、どんなときでも。を可能にしてくださるのです。


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