主日礼拝メッセージ 2023年2月5日
コリントの信徒への手紙一2章2節
「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。」
【礼拝メッセージ】
「」
コリントの信徒への手紙一2章1−5節
パウロはギリシャのアテネで哲学者たちとキリストについて議論をした。結果は、キリストの十字架と復活は笑いごとであり愚かな話しに聞こえた。しかし、こ
れこそ神の知恵にかなったことでした。「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おう
と、お考えになったのです。」(1:21)
神の知恵とは何でしょう。「知恵」は「知識」と違います。知恵は字のごとく「恵みを知る」という事です。聖書はこのように仰せられています。「キリスト
は、わたしたちにとって神の知恵となる。」(1:30)知恵とは恵みを知る事で、それはキリストを知る事です。また「知る」とは、知的に分かるという意味
ではなく、人格的に深く相手を知る事で、外側からの観察ではなく、その内側に入り、相手と深く関わり合っていく事です。故に「キリストの事を知っている」
ではなく「キリストを知っている」となることです。
パウロはこれをきっかけに大きな決心をした。それは「キリスト以外、何も知るまいと心に決めた。」(2:2)だが、決心をした時に、恐れと不安に取り付か
れたと言った。私たちも神は全能であることは知識では分かっていますが、でも、どこかに全てを委ねることが出来ない何か不安があるのです。そこで私たち
は、この世にも頼りながら、それでも足りないところは神に補ってもらおうという信仰になってしまうのです。これでは、神は全能でも何でもありません。ま
た、十字架はただのアクセサリーになってしまいます。
私たちはキリストの証人です。証人は真実を語らなければなりません。私たちもキリストを証ししようとするとき恐れや不安を抱きます。しかし、パウロは決心
をしたときに聖霊の力を受け、大胆にキリストを証しすることができた。それは「巧みな知恵の言葉によらないで、聖霊と力との証明によった。」となるので
す。どれだけお金を貯めても、魂の平安はなかった。地位や名誉を得ても、心に安らぎはなかった。これが人々の心の叫びです。人々は魂の平安を求めて十字架
を求めています。私たち先に召されている者として、この素晴らしい恵みを人々に伝える証し人になる決心をしようではないか。