【主日礼拝 】 2012年10月7日
「あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです」(16)。パウロは厳しい態度で、人は罪の奴隷として生きるか、神の奴隷として生きるか、いずれかの道しかないと言います。そして、私たちが今なお罪の奴隷として生きているなら、主イエス・キリストの十字架を信じて、罪の奴隷から解放されて、義の奴隷になりなさいと言います。私たちは現在、何を信じて生きているか、その信じているものが本物かどうかを考えてみる事が必要です。
自分の目標、理想をかかげて突き進む事は大切な事であります。多くの人が向上心を燃やし、目標を目指して歩みます。しかし、罪の奴隷となって生きている限り、結局は自己実現の生き方であり、エゴイズムの増長の領域から出ることはできないのです。主イエスは命の世界に関しては、逆の原理がある事を示されています。即ち「自分の命を得ようとする者は、それを失い、私のために命を失う者はかえってそれをえるのである」(マタイ10:39)。この法則こそが愛の世界であり、そこに生きようとすることが義への道なのです。
「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(ローマ5:8)まさに、罪の奴隷の行き着くところは死であり、義の行き着くところは永遠の命だからです。私たちの前には2人の主人が立っています。罪と言う主人。神という主人。あなたはどちらに従いますか?それを選んでいくのは私たちの責任であります。今こそ、キリストの十字架の恵みにあずかり、罪の奴隷から解放されて生きることです。
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