【主日礼拝 】 2012年11月25日
今日のお話は、受難のまえに、二階広間で行われた最後の晩餐の席上、又はゲッセマネの園への途上でのイエス様の告別説教であります。この章は、ぶどうの木の譬えを通して、イエスと弟子たちの真の関係を解りやすく説明している箇所であります。
1.誠の豊かな人生の条件の一つは、主イエスと離れることなく、絶えずつながっている生活。
この15章で、keyとなる重要な言葉は:「つながる」であります。ギリシャ語メネイン(メノー)meneinは、「とどまる」と訳されている。この言葉の一般的な意味は、「ある人が、ある場所にある期間滞在する・宿泊する・住む・一緒にいる」であります。イエス様が短い期間でも留まるとその人は変わる。例えば、取税人ザアカイはイエス様から「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」との言葉により、イエス様を自分の家に泊めた。「主よ、私は財産の半分を貧しい人に施します。」(ルカ19章)ザアカイの家に救いがもたらされた。イエス様のうちに留まる生活であります。
2.主イエスによって、絶えず、清められる生活。
豊かな実を結ぶためには、刈り込み・間引き・手入れ・主の愛の訓練を受けて、清められる必要があります。 主イエス様の御言葉によって清められ、主の流された十字架の血潮で清められ、聖霊様によって清められるのです。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」(ヘブライ12:5)
3.多くの良い実を結ぶ生活。
この15章では、実という字が9個あり、文語訳ですと、実の代わり、結果の果となっております。意義深い字であります。実とは、誠のぶどうの木であり、命の源であるイエス様の実を結ぶのであります。また、農夫である父なる神様の為に、実を結ぶのであります。主の弟子たる者は、多くの良い実を結んで、父なる神様に栄光を帰するのであります。実とは、@生涯に結ぶ悔改めの実A品性の上に結ぶ聖霊の実B奉仕の上に結ぶ働きの実であります。誠のぶどうの木である主イエスにしっかりつながり、主イエスと親しい生きた交わりを持ち、我ら共に愛し合い、許し合い、奉仕し合う群れ。行って豊かな実を結び、その実がいつまでも残る為に、共に労してゆく、そのようになりたい。主イエスに片時も離れることなく、常に霊の栄養分を潤沢にいただき、喜び・祈り・感謝しつつ、共に日々歩んでまいりましょう。
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