【アドベント(待降節)第1週主日礼拝 】                            2012年12月2日 

 『信仰によって願う』 

マタイによる福音書9章27-31節

山岸 明牧師

 二人の盲人が叫んで「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と言った。主イエスは「わたしに出来ると信じるか」と言われた。二人は「はい、主よ」と言った。主イエスが「あなたの信じているとおりになるように」と言われると、二人は目が見えるようになった。

 皆さんは祈るときにどのような思いで祈っていますか?主イエスから「わたしに出来ると信じるか」と聞かれたらどう答えますか?もし、彼らが「はい、主よ」と言いながら心では無理だろう、駄目だろうと思っていたら目は見えないままで終わったでしょう。私たちはいつもこの事を問われているのではないでしょうか。私たちの祈りの答えは「あなたがたの信じたとおりになるように」です。

 私たちの日々の生活の中でとても重要で大切な御言葉です。もし、私たちの信仰が何をするにしても、これは駄目だ、無理だが、私には出来ない、そのような信仰であれば、それは駄目になり、出来ないのです。主イエスが言われたように、あなたの信仰とおりになったのです。自分は変われませんというならば、その信仰によって変われないのです。自分は変われると信じるならば信仰によって変われます。信仰によって信じて祈るなら、状況は変えられます。「いささかも疑わず、信仰をもって願いなさい。疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。そういう人は神から何かをいただけると思ってはなりません。心が定まらず、生き方全体に安定を欠く人です」(ヤコブ1:6−7)。

 「わたしはあなたたちのために立てた計画をよく心にとめている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与える者である」(エレミヤ29:11)とあります。もし、神様が私たちの人生に素晴らしい計画を持っておられるならば、何があっても私たちもそう信じるべきではないでしょうか。神様が信じる事を私たちも信じるべきだと思いませんか。


 
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