【主日礼拝 】 2013年1月6日
アブラハムが75歳のとき「主はアブラハムに言われた。あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしの示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように」(2)。アブラハムはこの神様の約束を信じて、故郷を去り、新しい土地へと出発しました。
主が「わたしの示す地に行きなさい」と仰せられましたが、具体的にどこかは示されませんでした。特に決まった土地があるわけでもなく、そこに至る道筋もはっきりしている訳ではありません。ただ、神が行けと言われるのでアブラハムは故郷を出ました。故郷を捨て旅立つのは大きな決断です。アブラハムは神から命じられたまま、約束だけを信じて故郷を出たのです。
アブラハムは神の御言葉を聞いたとき、これは自分へのメッセージとして受け取りました。私たちも御言葉を自分の事として受け取るならば、それが、私に決断を求め、生活の変化を迫って来るのです。これが神の生きた命の言葉です。信仰とは何よりもまず、神の言葉を聞いて、それに従うことであります。御言葉を聞いても、それに従わない者には信仰の世界が始まらないのです。神の恵みが体験できないのです。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました」(ヘブライ人11:1−2)。
アブラハムは75歳で信仰の冒険に出ました。信仰による冒険は運を天に任せる事とは違います。運を天に任せるとは、そうなるか、ならないかは結果を見ないと分りません。しかし、信仰は、必ずそうなると信じて一歩を踏み出すのです。また、信仰の世界では失敗を恐れる必要はありません。大事なことは、失敗なく従う事ではなく、ただ従う事なのです。何もしない人は失敗もしないし、神に従う事もできません。その後アブラハムは、失敗の上に恥をかき、罪を重ねても、尚、神の約束に頼っていったので、アブラハムは信仰の父と呼ばれたのです。新しい年、主に寄り頼む信仰が私たちに新たな広い展望を与える事を期待し、主に喜んで従って参りたいと願います。
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