【主日礼拝 】 2013年2月10日
日本では八百万(やおろずの かみ)と言う言葉があるように、たくさんの神々がいます。山の神、川の神、海の神、受験の神、商売繁盛の神、貧乏神、疫病神・・・。テニイとい神学者が『全ての偶像礼拝の根底には、手に触れうる神を慕い求める人間の切望がある』と言いました。人間がいろいろな神々を造っていく、その心の奥底には、神を見たい、触れたいと言う思いがあり、人は木や石や金属で神を表そうとするのです。
聖書に神様がご自身を自己紹介している箇所があります。「わたしはある。あるという者だ」(出エジプト記3:14)。人が信じようが信じまいが、わたしは確かに存在するものである。では神様はどのようにご自身を現されたのでしょうか。主イエスは数日後に十字架につかれると言うとき、弟子たちに「今から、あなたがたは父をも知る。いや、既に父を見ている」(7)と言いました。それを聞いた弟子のフィリポは主イエスに「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」(8〜9)と言いました。
主イエスは「あなたがたはすでに神を見ている」と言い、弟子のフィリポは「神を見せてください」と言っている。主イエスは「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分っていないのか。わたしを見た者は、神を見たのだ」(9)。主イエスを見ることは神様を見ることなのです。「御子は神の栄光の反映のであり、神の本質の完全な現われである」(ヘブライ1:3)。主イエスが神様を完全に現わしてくださったのです。
今、神様を見たいと思っている方、神様を見なければ信じないと考えておられる方、神様を見る事ができるのです。それは主イエスを通して神様を見る事出来るのです。そして、これが神様を見る唯一の道なのです。「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(ヨハネ1:18)。聖書には主イエスの働きがたくさん記されています。私たちは聖書を通して神様を知ることができるのです。
福音メッセージ一覧へ
|