【主日礼拝 】 2013年2月24日
主イエスが十字架につかれる前に弟子たちに何度も伝えた御言葉があります。それは「互いに愛し合いなさい」と、愛することが命じられています。17節では「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令です」とあります。愛することは本来命令されて行う事でしょうか。愛は自発的なものだと思いませんか?では、どうして「愛しなさい」と命令されるのでしょう。それは「わたしがあなた方を愛したように」(12)という言葉にあります。主イエスが私たちを愛して下さったように「互いに愛し合いなさい」と仰せられたのです。ここに私たちの愛とは全く違った愛があるのです。
それでは主イエスはどのように私たちを愛して下さったのでしょうか。まず主イエスは「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ」(16)。と仰せられました。主イエスが私たちを選んだのであって、私たちが主イエスを選んだのではありません。更に「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」(15)。と仰せられました。主イエスが弟子たちを選ばれたとき、あの弟子たちには選ばれるような功績は何一つありませんでした。同じように私たちにも選ばれるべき功績など何一つありません。愛されない理由はたくさんあります。悪意を抱き、嘘をつき、他人の欠点ばかりあげつらい、いつも憎しみを心に持っています。それでも、主イエスは私たちを「友」と呼ぶ弟子の中に加えて下さっているのです。
「友のために命を捨てる」とは、主イエスにとって「敵」「罪人」と同じなのです。しかも、主イエスはその罪人である私たちの兄弟と呼ばれる事を恥としないで仲間となってくださったのです。そのような愛によって私たちも主イエスの弟子として選ばれたのです。これに優る喜びがあるでしょうか。このような愛は今まで私たちが経験した事のない愛です。ルターは、私は素晴らしい愛の実践者となることは出来ない、しかし、キリストの愛が私を通して人々の中へ流れ込み、キリストの愛が私を動かし、人生に力を与え、方向を与えてくれると告白しています。つまり生き方が変えられるといったのです。私たちはこれからも主イエスの愛にとどまり感謝と、喜びと、希望を持って共に歩んでいきましょう。
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