【主日礼拝 】                            2013年3月24日 

 『成し遂げられた十字架』 

ヨハネによる福音書19章28-30節

山岸 明牧師

 復活の喜びは十字架を通らなければやって来ません。私たちの人生の本当の喜びと勝利も十字架を通らなければそこに到達することができません。私たちの人生には悩み、苦しみがあります。人間関係の問題、病気の問題、お金の問題、仕事の問題など色々ありますが、この十字架にすべての答えがあります。私たちが本気でこの十字架を求めて行くならばすべてての答えは十字架のもとで必ず得られます。

 主イエスが十字架の上から「成し遂げられた」と仰せられました。これは十字架による救いの業が完成した。「成し遂げられた」は口語訳では「すべてが終わった」となっています。これは敗北感からの叫びではなく、勝利の叫びと共にすべてが完成され終了したことの宣言です。よく「終わりは始まり」と言います。一つのことが終わったら、そこから新しい事が始まるということです。私たちの人生にも一つの終わりと、始まりが必要です。いつまでも昔の嫌な事を引きずりながら歩むのではなく、また、だれも私を愛してくれない、認めてくれない、受け入れてくれない、ああしてくれない、こうしてくれない、と言って『くれないの旅』を続けていくのではなく、その旅はもう十字架で終わったのです。

 主イエスが私たちを愛して十字架で救いを完成してくれたのです。私たちを赦し、癒してくれたのです。私たちを認めて受け入れてくださったのです。主イエスは「してくれた」のです。私たちは神様から全てを受けているのです、足りないものはありません。「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」(ローマ8:32)。私たちはこの十字架の事実を受け入れ、十字架の愛と赦しを信じて、新しい人生を始めるのです。今日から恵みを受けた新しい人生の出発です。


 
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