【主日礼拝 】 2013年4月28日
エルサレムにベトサダという池がありました。その池の周りには病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人など病を持った人々が横たわっていました。ベトサダとは「恵みの家」という意味がありまして、その池の水が動く時、一番最初に飛び込んだ人は癒された。そこに38年間、病気で苦しんでいる人がいました。彼は、毎日べトサダの池に来て、水の動くのを待ち望み、1年が過ぎ10年が過ぎ、そしてとうとう38年という月日が流れてしまいました。
主イエスは彼に「良くなりたいか」と仰せられました。すると「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りていくのです」(7)と答えた。この悲観的な言葉がどれほど彼を絶望に置いていたか、もはや自分には癒される機会はない、また誰も助けてはくれないという、自分に対しても隣人に対しても絶望感の中にあったのです。
主イエスは彼に「起き上がりなさい、床を担いで歩きなさい」(8)と仰せられました。床と言うのは彼が今まで生活していた場所、彼を縛り付けていた病、また自分を助けてくれない隣人への憎しみ、何で自分だけがという現実の空しさ、その床を担いで、その重荷を担って歩みなさいと仰せられた。病を負った彼には、そんな重荷を背負って歩む力などありません。しかし、彼は主イエスの招きに応えて、勇気を出して新しい一歩を踏み出したのです。「すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした」(9)。まさに「あなたの信仰があなたを救った」(ルカ17:19)。
主イエス様に従うと決心した為に、しなくても良い重荷を背負う事もあります。しかし、それは仕方なく背負わされた重荷とは違います。自分で決心した事によって与えられた重荷であります。重荷を意味のあるものにするためには勇気をもって踏み出し、信仰をもって歩むことです。「勇気をもって雄々しく実行せよ。恐れてはならない。おじけてはならない。わたしの神、神なる主はあなたと共にいて、決してあなたを離れず、捨ておかない」(歴代上、28:20)。
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