【主日礼拝 】                                    2013年8月11日 

 『真実に目覚めるとき』 

ルカによる福音書8章26-39節

山岸 明牧師

 悪霊に取りつかれて家に帰ることも出来ずに墓場を住まいとしていた男がいました。男は主イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ、頼むから苦しめないでほしい」(28)。悪霊が「いと高き神の子イエス」と信仰告白をしています。私たちは一週間を振り返って信仰告白をしたでしょうか。日々の生活で信仰告白をしていくことは、とても重要なことです。

 なぜなら、悪霊が信仰告白をしたあとすぐに「かまわないでくれ」と言いました。口語訳聖書では「あなたは、わたしと何の係わりがあるのですか。」これは悪霊がよく使う言葉で、主イエスよ、あなたは神の子、救い主、と認めつつも、私とあなたとは何の関係もない。悪霊は私たちの心に向かって同じようにささやくのです。私たちが信仰告白をしていくことは、主イエスと私の関係をいつもはっきりさせることなのです。

 この男性は主イエスによって救われました。しかし、その裏には多くの犠牲がありました。大切な財産である多くの豚が犠牲になりました。マルコ福音書では2000匹と書かれています。また、主イエスと弟子たちはガリラヤからこの地に舟で渡って来るとき、激しい嵐が起こり、舟が沈みそうになりました。「主よ、助けてください。おぼれそうです」(マタイ8:25)命がけでこの地に来たのです。更に、それを見ていた人々は、男が正気になったのを見て早く自分たちのところから出て行ってほしいと願った。多くの犠牲をともない、命がけで来て、最後に早く出て行ってほしい。ひとりの人の救いの裏にこのような犠牲と痛みがあったのです。

 私たちの救いの裏にも多くの痛みと犠牲がありました。それはイエス・キリストが私の救いのために十字架についてくださり、その命をささげてくださいました。私の救いのために多くの人たちが祈りもありました。多くの人の尊い捧げものによって教会は伝道ができ、その伝道によって救われた方もいます。この犠牲と痛みは一人の救いのための神様の恵みです。私たちは日々、信仰告白をして、主イエスと私の関係をはっきりさせていくとき、真実に目覚めるのです