【主日礼拝 】                                    2013年8月18日 

 『主イエスに聞き従う』 

ルカによる福音書9章28-36節

山岸 明牧師

 
 私たちは生活の中で色々な声を聞いています。自分の人生が他人の言葉に左右されたり、自分の内なる欲望の声に突き動かされたり、誘惑の声に惑わされたり、聞く事によって、悩んだり、迷ったり、傷ついたり、苦しんだり、心を痛める事が度々あります。家族や友人の話に真剣に耳を傾けるのは当然のことですが、大切なのは、そういう中で私たちが本当に聞かなければならない声は何かと言う事です。

 「イエス様はペトロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山に登られた。するとイエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、モーセとエリヤが栄光に包まれて現れ、イエスと語り合っていた。」(28−31)弟子たちにとってモーセもエリヤも偉大な人物です。突然の出来事にペトロは言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」(33)。ここにペトロがモーセ、エリアを主イエスと同じ位置に置いていることが分かります。すると雲の中から「これはわたしの子、わたしが選んだ者。これに聞け」(35)。という声を聞いた。弟子たちがあたりを見回してみると、主イエスだけがそこにおられた。「これに聞け」とは主イエスのことであり、私たちが心から聞くべきお方なのです。

 私たちがこの世で生活をしながら主イエスのお言葉を聞いていく事は恐ろしい事です。何故ならば、神様の思いは私たちの判断や、この世の常識を遙かに超えているからです。そこに自分を委ね従がおうとするとき不安になり、主イエスの声よりも、世の声を優先してしまうのです。主イエスを本音で信じて、なお信じ続けるとき、私たちの不安と恐れは喜び、感謝、平安に変わっていくのです。これは主イエスを信じた恵みによって人生に素晴らしい実を結ぶという約束の成就です。「聞くだけで終わる者になってはいけません」(ヤコブ1:22)とあるように、聞いて、信じて、信じ続けるのです。そして「主よ、お話しください。僕は聞いております」(サムエル上3:9)と言ったサムエルのように、神様の言葉を聞かせてくださいと求めることなのです。