【主日礼拝 】                                    2013年9月8日 

 『時は流れない』 

コヘレトの言葉3章1-22節

中川 幹執事

 
 『時は流れない。それは積み重なる。』20年ほど昔、某ウィスキーのTVCMに使われた有名なキャッチコピーです。一般的に時間とは、過去から未来へと直線的に経過する、一定の速度の唯一の流れ、と感じているものです。時はただただ流れ過ぎていったのではなく、ひとつひとつの時間が成長となり経験となり、この今現在を形成しているのだということを端的に語る、評価の高い有名な広告となりました。

 では、聖書における<時>はどういった性質なのか。コヘレトの言葉にある「天がもとのすべてのことには季節があり、すべてのわざには時がある。」からはじまる御言葉は全く違う<時間><時>の考え方が示されています。<時>は人の外側にあって事柄ごと流れ去っていくものではありません。主が私たちに与えられる「事柄」「業」とともに個別の存在としてそこにあります。

 いま世界の潮流でもある高齢化と、伴う認知症患者の増加が広く社会の課題ともなっています。認知症を患うとなると、悲しいかな信仰に関する記憶、思考能力が損なわれていき、多くの患者により、神様の存在が薄れ行くことを憂い「愛する主よ、私の中から去りいかないでください」と祈られる、とのこと。そこからスピリチュアルの世界が持つ重要性が改めてクローズアップされスピリチュアルディレクターといったキリスト教における信仰と生活についての相談相手となり、人生という旅路に伴に寄り添い共に歩んでいく者という役割を担う存在なども、認知症介護の世界においてもまた注目されているようです。

 いかなる局面を迎えても、主とともにあった時は決して過ぎ去り無くなることはなく、主はまた、その一人ひとりにそれぞれの「美しい時」を用意されている喜びに祈ります。