【主日礼拝 】 2013年11月10日
復活などないと主張するサドカイ派の人々が主イエスに聞いた。「ある七人兄弟の長男が妻を迎えたが子供がないまま亡くなった。そこで、二男がこの女性を妻としたが、同じように子供がないまま亡くなった。とうとう七人の兄弟が全員、子供がないままでなくなってしまった場合、復活の時にどうなるのか、復活が本当にあるとするならば、長男の妻であったこの女は復活の時に一体誰の妻になのか、という難問を持ち出した。これに対する主イエスの答えはとても明快なものでした。
初めに、次の世では、「めとることも嫁ぐこともない」(35)と仰せられた。人はこの世の基準で物事を考え判断するが、来るべき世界の出来事はこの世の物差しで測ることはできない。故に復活などありえないと勝手に判断してはいけないという事です。
次に「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」(38)と仰せられた。私たちの知恵の及ばない死んだ後のことは、神を信頼して委ねていけば良いのです。私たちは現実にこの世に生きている者です。「わたしは生きている者の神だ」と宣言された通り、神はこの現実の中に生きて、具体的な生活の中で働いてくださるお方です。
最後に「すべての人は、神によって生きている」(38)と仰せられた。人は主イエスを信じて救われ、永遠の命が与えられ、新しく生まれ変わって神の子となります。そして「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」(エフェソ5:1)と仰せられ、古い自分を脱ぎ捨てることを望まれます。それは「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなど、すべて悪意と一緒に捨ててしまいなさい」(エフェソ4:31)。そして、愛されている子どもは、愛されている子どもらしく「互いに親切にして、憐みの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」(エフェソ4:32)という生き方をし、その愛を人々に分かち合い伝えて行くのです。