【主日礼拝 】                                 2014年1月12日 

 『ささげる礼拝−1』      

ヨハネによる福音書4章19-26節

山岸 明牧師


 「父は霊であるから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」(4-24)。主イエスから直接この言葉を聞いた一人の女性がいました。この女性はまことの礼拝者にされた人です。主イエスはこの女性に「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしの与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(14-15)と言われ、その御言葉通りに女性の心に泉ができ生きた水が湧き出ました。まことの礼拝は、礼拝しなければと言われてするものではありません。キリスト教の歴史は、礼拝するなと言われても礼拝をしました。礼拝をしたら迫害を受けるのに、でも、神を崇めたい、御言葉を聞きたい、賛美したいと心から湧き上がるのです。これが、まことの礼拝者です。

 主イエスと出会った女性は今まで5回の結婚と離婚を繰り返しきて、周りからは“ふしだらな者”として拒絶されていました。女性は別れるたびに傷つき、それを癒すために、また他の人、また別れる、もっと傷つく、心は悲しみと、憎しみが入り乱れて、恋愛に依存しなければ落ち着かなかったのでしょう。この女性からどうして泉が湧き出たのでしょう。それは主イエスとの出会いでした。人目を避けて生活していた女性に主イエス自ら近寄り「水を飲ませてください」とお願いをしました。この言葉が彼女の心の扉を開いたのです。主イエスは女性を非難することなく、裁くことなく、逆に理解する者でありました。

 それから「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない」と言うと、女性は「その水を下さい」と言った。すると主イエスは突然「夫をここに呼んできなさいと言った」(4:16)。この言葉は彼女にとって触れてほしくない、言われたくない、一番傷つくこと。この事のために女性の人生が辛いものになっているわけです。しかし、この女性は「わたしには夫はいません」と正直に答えました。嘘をいうことも、聞き流すことも出来たのに。女性は何故、本当のことを言えたのでしょう。このお方(主イエス)は絶対に裁かないと分ったからです。主イエスの前に正直に立ったとき、すべてがゆるされ、心に泉が湧くのです。


 
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