【主日礼拝 】                                 2014年5月4日 

  『あなたの霊的年齢は』      

ガラテヤの信徒への手紙3章1-6節

山岸 明牧師

 何をしても解決できない罪が、イエス・キリストの十字架によって赦された。イエス・キリストは私たちの救い主である。これが、私たちの信仰の根拠であります。私たちは、その事をしっかりさせなければなりません。しかし、これは困難な道でもあります。何故なら、「イエスは主である」とは、他の全てのものを主としないという事だからです。

 ガラテヤ教会の人々が十字架の福音を信じて救われたはずなのに。その恵みを忘れ、律法の行いによらなければ救われない、という教えを信じて、それに乗り換えてしまいました。パウロは「あなたがたが、こんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わしてキリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです。」(ガラテヤ1:6−7)と言った。

 彼らは、聖霊の恵みの中で生きるよりも、律法に頼り、自力で救いの中にとどまろうとしたのです。そこでパウロは「あなたがたに一つだけ確かめたい。あなたがたが霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。」(3:1−2)どっちなのですか?もちろん福音を聞いて信じたからです。それならば、なぜ「霊によってはじめたのに、肉によって仕上げるのですか。」(3:3)

 私たちの目は、肉の世界のことは見えるが、霊の世界のことは見えません。故に、見える世界に流されて行ってしまいます。その中で聖霊の導きと言っても信じられなくなってしまう弱さを持っています。神様の愛を信じて留まると言うのは地味であり、すべてを肉で仕上げたいと思い、見える形で成果を追い求めてしまうものです。しかし、聖霊は働かれているのか?と思うところに、実は力強い聖霊が私たちのうちに働いてくださっているのです。


 
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