【主日礼拝 】                                 2014年5月11日 

  『決断のとき』      


列王記上18章20−22節

山岸 明牧師

 『  
私たちは御言葉を聞き、日々の生活をどのように生きていくのかという判断と、時には厳しい決断が求められていきます。預言者エリヤは「主なる神」と「バアルの神」の間で揺れ動いていたイスラエルの民に「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるならば、主に従え。もしバアルが神であるならば、バアルに従え」(21)と言った。

イスラエルの王アハブのもとに遣わされたエリヤは王様に、どちらの神が本物か勝負しようと言った。勝負は祭壇を築き、その上に献げものを乗せて、それぞれの神の名を呼ぶことにする。そして、天から火をくだして答える神こそ、礼拝すべき本物の神だと言った。戦いが始った。まずバアルの神を信じる預言者たちが朝から真昼ごろまで「バアルよ、我々に答えてください」と祈った。しかし、声もなく答えもない。今度は彼らの築いた祭壇の周りを飛び回り祈った。それでも答えがない。すると「彼らは槍で体を傷つけ始めた。そして血を流し、狂ったように叫び続けた」(28)。それでも、声も答えもなく結局、バアルの神は人を傷付け、裏切り、悲しませ、迷いの中にとどめた。

次はエリヤの番です。エリヤは薪を水で濡らし。その上に献げものを乗せ「アブラハム、イサク、イスラエルの神よ、わたしに答えてください」と言った。すると、主の火が降って、焼き尽くす献げものとなった。それを見ていた民はひれ伏し「主こそ神です。主こそ神です」(38)と告白した。偶像は人の血を流させ失望へと追いやったが、御子イエスは逆に、私が生きるために、幸せになるために、十字架の上で自ら血を流され、命を捨ててくださった。私たちは常に、人生の中で何を第一として生きるのか、その事をはっきりとさせなければなりません。そして、主イエスを救い主と信じるなら主イエスに心から従おう。そして、日々「主こそ神です」と信仰告白をしていきましょう。


 
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