【主日礼拝 】                                 2014年7月13日 

  『先立ち備えてくださる神』      

詩編37編23-24節, 創世記22章14節

吉野輝雄執事

 50周年記念誌でも取りあげたように私ども仙川教会は、日本に住んでいるミャンマー人ク リスチャンと同じ神を信じる者として深い交わりを持ち、多くの恵みを共有して来ました。そのきっかけは1988年に民主化を求める運動を起こした学生、市 民に対して軍事政権が行った強硬な弾圧を逃れ日本まで辿りついたミャンマー人との出会いでした。


 軍事政権はその後30年も続き、ミャンマー人兄姉一人ひとりの人生に大きな影響を与え今に至っています。しかし、2011年頃からミャンマーでは次々と 開放政策が打ち出され、状況が変わりつつあります。そんな中、昨年秋NPO法人CFFはミャンマーの子どもたちが置かれている状況を調べ、協働プログラム の可能性を探るための調査旅行を行いました。同行した私吉野は、ミャンマー人兄姉との10年ぶりの再会を喜び、無事を感謝しました。と同時に、彼らが所属 するユアマ教会が貧しいスラムの子どもたちのお世話をするSharing Love活動を行っている事を知ったのです。驚いたことにその活動を中心的に担っていたのが、かつて仙川教会で交わりを持っていた兄姉であったのです。そ の時、主がすべてに先立って備えておられた事を悟りました。私は人間的な思いでミャンマーを訪れたのですが、訪問にはもっと深い意味があったことが分かっ たのです。これまで30年間の出来事全体に光が当てられたような感じがして、帰国後になすべき役割も示され、ミャンマーへの関心は抑えられない程強くなっ ています。実際、調査旅行で得られた情報と現地の人々との間に築かれた絆はCFFがミャンマーで実施する新たなプログラムを策定する材料として生かされて います。例えば、今年の3月には予備的キャンプが実施され、来る8月の第1回キャンプには18人の参加者が集まり、ミャンマー人との協働プロジェクトとし て実を結ぼうとしています。


 このプロジェクトは日本とミャンマーが互いに対等な協力関係を築き、子どもたちの未来について考え、喜んで活動することを通してこの世界の平和、愛によ る絆を築く機会となると信じています。聖書が約束しているように主が先立ち、御心にかなう道を備え導いて下さると確信するからです。


【本 文】
 創世記の学びは新鮮。今に通ずる深い真理に気づかされるので、毎週の学びと分かち合いが楽しい。皆さんは?
 アブラハムは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じる人々の信仰の父として尊敬されている。何よりも神から与えられた約束を信じ、安定な生活を捨て 神が示す地に向かって旅立った。カナンに辿り着きアブラハムがまずしたことは主を礼拝する祭壇を築きました。アブラハムは、礼拝を第一にする信仰により夜 空の星の数ほど/大地の砂粒のように数えきれない数の子孫を与えるという祝福の約束を受けました。
 「信仰の父」アブラハムは、愛する息子イサクを捧げよという主からの試練の体験を通して、「主は備えてくださる」という真理を体験的に学んだと22章に記されています(8/3のCSで学ぶ)。
 主の御言葉の真理を私もこの1年の間に体験的に学ばされましたので今朝分かち合いたい。

  皆さんは「今、ミャンマーが熱い」という言葉を耳にしたことがありますか?今、たくさんの欧米人がミャンマーを観光に訪れています。日本の多くの企業が ミャンマーを新たな市場とするためにミャンマーを訪れています。これを熱い動きだと言うのです。4年前までは考えられなかったことです。ご存知のように (ネィウィン元ビルマ国軍最高司令官による軍事クーデターから数えて)50年もの長い間軍事政権が独裁的な政治を行い、鎖国同然の状態の中で国民の自由な 発言や民主化への動きを封じて来ました。具体的には、1988年の民主化を求める学生たちから始まった市民の動きに対して武器をもって弾圧(デモ隊への水 平射撃・無差別発砲を繰り返し、一週間余りの間に1000人前後の市民を傷つけ、民主化運動を封じ込めた。民主化運動の中心を担った学生たちの一部は、軍 事政権の成立前後、逮捕・弾圧の危険を感じ取り、タイ・ビルマ国境地帯に脱出)。1990年の総選挙(投票率72.5%)で書記長のアウン・サン・スー チーさんが率いる国民民主連盟 (NLD)が議席の81% 獲得(392/485議席)という圧倒的な勝利したにも拘わらず政権を渡さず、アウン・サン・スーチーさんを軟禁し強硬な軍事政権を30年も続けていまし た。それが、今から3年前に軍事政権の一員であったテイン・セイン氏が大統領に代わってから次々と開放政策が打ち出され、ここ数年ですっかり状況が変わっ て来ているのです。アウン・サン・スーチーさんの軟禁は解かれ、人々は政府のやり方について開け拡げに議論をするようになっています。この動きは本当に民 主化への流れなのか?という疑問が国の内外でささやかれ、逆戻りすることを恐れている人々もいます。
とても気になる問題ですが、これ以上ミャンマーの政治状況について話を続けることは、今日のメッセージの目的ではありませんので止めます。しかし、このような事を前置きに話したのには2つの理由があります。

 1つは、このような状況の中で日本に逃れて来たミャンマーのクリスチャンと私ども仙川教会が交わりを持って来たという事実があるからです。過去には、マ ウマウタン牧師が仙川教会から献身して西南大学神学部に入学し鹿児島の国分教会牧師になり、今もアウン兄が日本で生活している事と無関係ではないからで す。写真をご覧下さい。ここに写っている人以外にもつながりを持っていました。
 昨年作成した仙川教会50周年記念誌にも彼らとの出会い、交わりが仙川教会の歩みにとっても、主の恵みを共有した歴史であったことを証ししています。ご 存知の方もあるかと思いますが、彼らは1988年の民主化運動への凄惨な弾圧を逃れて日本まで辿りついた人たちです。異国日本で安心して生活できる保障も なく、苛酷な力仕事をしながらひっそりと生活をしていました。しかし、キリスト者として日曜日には礼拝に出席したいと祈り願っていて、仲間のニイニイ兄と サンサンミン姉が結婚式を仙川教会で挙げたのがきっかけで礼拝に出席するようになったのです。この頃の様子は「聖書教育」?年に故高橋牧師と私が記事を書 いています(スライド)。この記事の中で主にある交わりと3人のミャンマー人の信仰と証しについて書いています。
 一人は、私たちと出会った時から「日本で伝道したい」と言い続けておられたマウマウタン兄(現在、鹿児島の国分教会牧師)で、その初志を貫徹して一時 ミャンマーに帰国し、エイエイミン夫人と一人息子のボーくんと一緒に再び日本に来て西南大学神学部に入学し、2002年に遂に牧師となりました。仙川教会 は彼のために祈り、生活費などを支援し、牧師となった事を喜び合いました。
 2人目は、チョウ兄で早朝から鶏肉卸店で働いてお金を貯め、遠隔恋愛を続けていたティン姉と、仙川教会で結婚式を挙げました。ティン姉は数年間仙川で暮 らした後、出産のためヤンゴンへ帰り、その後(今から11年前)チョウ兄も帰国、お兄さんと旅行社を立ち上げ現在に至っています。昨年6月の50周年記念 礼拝の中で賛美した“Love & Peace”はチョウさんと安部かおり姉が作曲し、鈴木裕子姉が作詞したものです。
 ニイニイ兄は、長兄のマウマウタン牧師の学費を稼ぐために懸命に働き、目的達成後にサンサンミン夫人とユキちゃん家族でグリーンカードを取得し、アメリカに移住しました。
 3人目が仙川教会で今も交わりを持ち続けているアウン兄です。大学入学を目前にしながら民主化弾圧により道を閉ざされ,19歳で日本に来ました。仙川教 会で成人式を迎え、その後懸命に日本語を勉強し、ユナさんと結婚、今働きながら神学校に行っている事は皆さんご存知の通りです。という風に厳しい背景を抱 えていたにも拘わらず主にある生活を第一にして懸命に生きてきたミャンマーの兄姉との交わりが仙川教会の歴史の一面です。「聖書教育」の記事の中では主に ある交わりと喜びの共有した体験だけを書いています。
 この30年の間には言葉で表すことが出来ないこともありました。例えば、出入国管理局とのやり取りでは屈辱的な思いにさせられた苦い体験を付き添われた 毬子姉は記憶されていると思います。また、母国の政治状況は将来への希望を想い描くことを許さず、話題にすることもできないという異常な年月が長く続いて いました。私たちも出来るだけ話題にせず触れないようにしていました。ですから、どれだけ辛い思いをしていたのか、母国の家族のことをどれだけ心配されて いたのか、分かりませんでした。済まないと思います。
 こんな表と裏のある二重構造をもったような交わりでしたが、昨年11月、私とCFF創立者の二子石章氏ら4人でミャンマーへ調査旅行に行った時、今までベールに隠れていたものが陽の光に照らされたように明らかとなったのです。
 10数年前に帰国したチョウ兄とティン姉と再会し、アウン兄も所属していたYwamaバプテスト教会を訪ねた時のことです。再会できとても嬉しかったの ですが、それは単なる再会ではなく、主の備えを目の当たりにしたという体験でした。「主なる神さまが私たちに先立ち、私たちの思いを超えて備えて下さって いたのだ」という魂が震えるような体験でした。順序立てて具体的に説明しましょう。

@ CFFがこれまで親が養育放棄したフィリピン、マレーシアの子どもたちのために養護施設を作り支援する活動を17年余り続けて来ていましたが、新たな活動 拠点を探るためにミャンマーの子どもたちが置かれている状況を調査する旅行を計画したのです。”ミャンマー”と聞いて、私は仙川教会とのつながりを思い出 し、チョウさん夫妻、マウマウタン牧師のお父様との再会の機会となればと思い、調査旅行への同行を希望しました。はじめは、どんな団体がどこで何をしてい るのか全く手がかりがありませんでした。そこで私はチョウさんに、現地でどんな団体が恵まれない子どもたちのケア(支援)をしているのかを尋ねたところ、 YBCが"Sharing Love"活動として学校に行ってない貧しい子どもたちに週1回一緒に歌いダンスをし、食事を与え、文字の読み書きのできない少年にはビルマ語を教えてい るという答えが返ってきたのです。それならばまずYBCを訪問してその活動を見させてもらおうということになりました(写真)。笑顔がはち切れそうな子ど もたちの顔が印象的でした。驚いたのはそれだけではありません。"Sharing Love"活動を始められたのが、ティン姉の双子の姉のウィン姉で、ティン姉もチョウ兄も中心メンバーとして活動を担っていたことが分かった時です。約2 年前、ウィン姉の優しい心で始められたこの活動は、今は教会の活動として認知されていました。この時の驚きはあまりに衝撃的で言葉で表すことができませ ん。主の臨在を直感したからです。
 さらなる驚きがありました。YBCが貧しい人たちのために毎日曜日、無料のクリニックを開いているというのです。現場を訪ねると、そこでアウン兄の妹さんが医師として奉仕していることを知ったのです。
 調査旅行はたったの5日間でしたが、アウン兄のご両親、ご兄弟にも挨拶でき、その他にヤンゴンYMCA、MBC(ミャンマーバプテスト連盟)、MIT(ミャンマー神学校)を訪問、そこでも仙川教会とつながりのあった方々とお会いできました。
 帰国前11/24の主日礼拝では、チョウ兄の通訳で仙川教会とのつながりについて証しさせて頂きましたが、話をしながら30年間仙川教会とミャンマーの クリスチャンとの出会いとつながりの意味を考えさせられ、主の計らいを強く感じざるを得ませんでした。そして、CFFがミャンマーとの協働プロジェクトを 開始することになったならば、私はそこで出来るだけの協力を惜しむまい、という決心に導かれたのです。

Aここから未来に向けての歩みについてお話します。ミャンマーとの協働プロジェクトの実現です。ミャンマーの政治状況を始めに述べた第2の理由です。
 ミャンマーが民主化に向かっている動きはもう後戻りすることはないだろう、と私はこの間、様々な情報、前ミャンマー大使津村滋氏が書いた「ミャンマーの 黎明」という説得力のある本などを読んだ上で確信しています(むろん楽観は慎むべきですが)。調査旅行でヤンゴンの街を歩いていて、私は人々の間に「開国 の息吹」を直感しました。特に若者は国の将来像を描きたい、民主国家の建設に参加したい、そのためにも外国の青年と対話したいという願いに溢れているよう に感じました。それは、逆に日本の青年たちに今のミャンマーに触れ、青年と熱い対話をしてほしいという願いになりました。
 帰国後、CFFはフィリピン、マレーシアのキャンプに参加したことのある青年たちによる0回スタディーツアーを行い、これからのプログラムの原型を提案 してもらおうということになりました。募集に対して、当教会員でCFFのスタッフとなることが決まっていた田代美智華を含む6人の青年が参加しました。と ても密度の濃い印象的なツアーであったことが体験を熱く語る一人ひとりから伝わってきました。そして、今後どのようなワーク、スタディーキャンプを創って おくか、期間、採算、宿泊環境など実施方法についての提案がなされ、今年の夏8月15-25日に第一回スタディーワークキャンプが行われることになったの です。実施に1つ条件がありました。
 参加申込み数数が7月中に10名を超えることです。蓋を開けて見ると、0回参加者のアピールのおかげで定員15名を超える18名の参加者が異例の早さで 集まりました。実施が決まり、CFF事務局職員の高梨さんとみちか、それに私がスタッフとして参加することになっています。
 目下、プロジェクトの準備が進行中です。現地の青年たちと共同して絵本を作り、子どもたちに読み聞かせようという私は現地の方々との人脈を生かして、様々な段取りをし、連絡役として協力しております。
 どのようなキャンプとなるか分かりませんが、私は、このプロジェクトは日本ーミャンマーが互いに対等な協力関係を築き、子どもたちの未来について考え、喜んで活動することを通してこの世界の平和、愛による絆を深める機会となることを祈り願っています。
 主が先立ち、主が望まれる愛の関係を第一に求めて活動して行けば、主が御心にかなう道を備え導いて下さると信じています。主の御業がなされるようご加祷下さり、参加者の安全と学びのためにもお祈り下さい。
 

祈り:
「主の山に、備えあり」創世記22:14
私どもの歩みと目指す所が主の山でありますように。
この仙川教会が第一にするところが主への礼拝でありますように。
仙川教会に備えられたミャンマーのあなたを信じる人たちとの協働の働きが常に主の御心の実現を祈りも求めるものであり、あなたの備えと導きを忘れることがありませんように。
主よ、あなたを畏れ従う者が歩む道を照らし、御心に叶うプログラムの中であなたにある平和と命に満たされますように。



 
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