【主日礼拝 】                                     2014年9月28日 

   礼拝する者として』      

申命記1章31-40節 

富田敬二牧師

  人生とは「旅」だとよく言われます。旅にはいろんな目的や夢と希望があります。その目的や夢に向かって人は日々を生きるのであります。私たちはどんな夢を 持って歩んでいるでしょうか?財産やお金を求めたり、自分の名誉や地位のために努力し、競争し合ったりもします。その日常生活で疲れや、ストレス、時には 自分の目標を無くすことも少なからずあることでしょう。

  旧約聖書時代の人々はどうでしょう?罪人である人間は神様に直接求めることが出来ず、祭司や預言者を通じて神様との関わりを大事にしてきました。そして、 現代人とは違う環境の中で彼らも同じように財産や名誉または生活の豊かさを求めました。そのため、時に苦難や災難に出会う場面もしばしばありました。神様 との約束を忘れ、やすらぎを目で見えるものから得ようとする時もあります。その時神様は預言者を通して彼らをもう一度自分に目を向けさせ、悔い改めること でお赦しになり、やすらぎを与えました。

  現代の私たちは罪人でありながらもイエスの贖いにより神様に直接求め、祈ることが許されました。だが弱い私たちも自分の欲望を満たすため、時には神様を忘 れ、自分の力で何とかしようと努力します。その結果、疲れ果てて生きる力さえ失います。その私たちは教会でみ言葉を頂き、交わりを持って神様の愛と癒しを 実感し、新たな力を得ることができます。現代社会の中で仕事や日常生活に疲れ果て、いき場を失い、さまよっている方が大勢いらっしゃいます。その方たちに 神様の愛を伝えましょう。

  詩編の詩人のように神様を信じ、愛することができたら、なんと幸いなことでしょう。神様もどんなにその人を愛することでしょう。人はどんなに疲れても愛す る人がいるところへ向かうとき喜びや希望に溢れます。神様と出会う道はそれ以上のものです。夢や希望に溢れ、疲れることもないでしょう。神様も愛する人の 言葉に喜んで耳を傾けるでしょう。神様と愛に満ちた関係になりましょう。


 
福音メッセージ一覧
戻る