【主日(召天者記念)礼拝 】                                   2014年11月16日 

   約束された天国』      

エフェソの信徒への手紙1章11-14節

山岸 明牧師

  本日の召天者記念礼拝は召された方々に思いを向けると同時に、私たちも死に対する備えが出来ているかを確認をするときであります。それは愛する人の死を見 つめることによって命を見つめます。それは、命をどのように考えるかによって死への考え方も変わってきます。

 皆さんは天国に入る確信をお持ちでしょうか。その確信の根拠はどこにありますか。神様は愛なる方だからきっと入れてくれるだろう、と言った。気分や思い 込みではいけないのです。私は天国に入れると言う根拠です。聖書ではその根拠を聖霊で証印を押されている人だと言います。「キリストにおいて、真理の言 葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです」(13)。

 では、いつ、どのように証印をおされるのか。あるときペトロが大勢の前で福音を語ったとき、聞いた人々は「わたしたちはどうしたら良いですか」と聞い た。「ペトロは彼らに言った。悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖 霊を受けます」(使徒2:38)。つまり、イエス・キリストを救い主と信じるなら、賜物として聖霊を受ける。それが証印だと言うのです。

 私たちが天国に入れるかどうかの根拠はそれだけです。この世で善行と奉仕活動を積み、清い人間になり、償いをし、難行苦行をする、そういったものは一切 必要ないのです。「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から 命へと移っている」(ヨハネ5:24)。もし、今晩死ぬとしたら、皆さんは天国に行けますか。私たちもいつかは召されるのです。その事を思うとき悲しみや 不安に襲われます。しかし、救い主イエス・キリストを信じるとき、死は終わりではなく一つの通過点にすぎません。「命ある限り恵みと慈しみはいつもわたし を追う、主の家に帰り生涯そこにとどまろう」(詩編23:6)。これからも主を信じて共に歩みましょう。

 
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