ある夜、ニコデモというユダヤ人の指導者が主イエスのところにやって来た。ニコデモはファリサイ派に属し、ユダヤ人の議員でもあった。本来は、人々に魂の
問題を教える立場の人です。また、知恵も、地位も、名誉も、財産のすべてをもほしいままにしている人です。そのニコデモがなぜ?ニコデモはこの世のもので
は解決できない魂の問題を求めて主イエスのところ来たのです。そして「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。
神がともにおられなければ、あなたのなさるようなしるしをだれも行うことはできないからです」(2)と言った。ニコデモは主イエスが行われた奇跡を聞いて
いたのでしょう。それに対して主イエスは「はっきり言っておく。人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(3)と仰せられた。つまり、し
るしや奇跡は本当に重要なものではなく、重要なのは「新しく生まれ変わることだ」と仰せられた。
私たちも人生に悩み苦しみを覚えたり、また、現状を変えたいけれど変えられないという状況の中にあるとき「新しく生まれ変われたら」と思った
りすることがある。仏教の輪廻転生(生まれ変わり)はそのような人間の思いからできたのでしょうか。しかし、主イエスが「人は新たに生まれなければならな
い」と仰せられたとき、ニコデモはその真理が理解できずに「年をとった者がどうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれること
ができるでしょうか」(4)と言った。主イエスは仰せられた。「はっきり言っておく、だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできな
い。」(5)即ち、誰でも自分の肉を知り悔い改め、主イエスを信じバプテスマを受けるならば、知識を超える神の命が得られ、新しい自分に生かされると仰せ
られたのです。それは、新しく生まれることは知識ではなく信じる信仰にあるということなのです。「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死
にあずかるものとなりました。
それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」(ローマ6:4)。