【主日礼拝メッセージ 】                                 2015年01月05日 

  『共に教会を建て上げよう』シリーズ1.「教会とは」     

マタイによる福音書16章13-20節

山岸 明牧師



  「天の国の鍵」が教会に与えられた。では「教会」とは何か。教会とはギリシャ語で「エクレシア」呼び集められた者たちという意味です。では、私たちはだれ に呼び集められたのか?主イエスです。そして集められた時に主イエスから一つの質問を受けました。「あなたはわたしを何者だと言うのか」(15)。これは 人生の中で一番大切な質問でした。これにどう答えるのか。キリスト教が何と言っているか、本にどう書いてあるか、人がどう言っているかではなく、十字架に つき、三日目に復活された主イエスを「あなたは何者だと言うのか」

  今、私たちは何と答えますか。弟子の代表であるペトロは言った。「あなたはメシア、生ける神の子です」(16)。主イエスは答えました。「あなたは幸い だ。あなたにこのことを表したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」(17)。この世には幸いと呼べるものは多くありますが、その中で最高の幸い は、主イエスが私の救い主であり、今も生きて働いてくださっている神の子であると分かり信じ告白できること。

  主イエスは「ペトロ、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と仰せになった。つまり、「あなたこそメシア、生ける神の子です」という信仰の上に教会 が建つのです。更に「陰府の力もこれに対抗できない」(18)。と仰せられた。陰府の力とは、私たちを苦しみの中に、不安の中に、悩みの中に、暗闇の中に 閉じ込める力です。その陰府の力も教会には勝てないのです。主を信じるとは何という恵みだろうか。主イエスご自身が私たちの信仰の上に教会を建ててくださ るのです。

  主イエスが教会を建ててくださるなら、私たちは何もしなくて良いのか。そうではありません。「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくだ さったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが 働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです」(コリント (一)3:6-9)

 
 
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