コヘレトは現実の矛盾、人生の空しさを嫌というほど体験し、その空しさを埋めるために、学問を究め、財産を究め、この世界のありとあらゆるものを究めて、
自分のものにしました。しかし、その結果は「なんという空しさ、すべては空しい」(2)だった。人間は何のために生きているのか。人間の生きる意味は何
か、何をすれば人生を充実して生きることができるのか。すべてを極みつくしたコヘレトが得た結論、そして、人間にとって最も大切なことは「神を畏れ、その
戒めを守ること。これこそ、人間のすべて」(12)でした。
つまり「神を畏れる」生き方とは、私たちの生活の中心に神様を置くこと、神様はこの世界を創造し、過去も、現在も、未来に至ってすべてをご支配しておられ
るお方であり、私たちの命もご支配されているお方であることを覚えて人生を歩み、今日も与えて下さった命の豊かさを喜び感謝して生活すること。また、人生
には多くの答えられない疑問があるが、しかし、それら全てをご存じである神様に委ねて生きること、それが人間の本分であると言う。
主イエスはこの事を示し実現させる為にこの世に来られました。人は神様を畏れ敬うことを忘れ、神様の前からさ迷い出た者となってしまった。
主イエスはそんな私たちの罪を赦し、神様に立ち帰らせるために、十字架の愛の道を備えてくださった。この愛を受け入れ、神と共に生きることが、まさに
「空」からの解放なのです。神様に愛されているのに、その愛を受け取らない事ほど、罪深き事はありません。それは主イエスの十字架の愛を拒否する事であ
り、それは「神を畏れる」生き方ではありません。
よく、私は赦される必要などない、私は正しい人間だからと思う事がある。しかし、赦しが必要ないくらいに正しい人間がいるのでしょうか?そして覚えておきたいのは、私たちが自分の正しさを主張する事こそ、罪の始まりであることを。