【主日礼拝メッセージ 】                                 2015年03月22日 

         『自信をもって生きよう     

出エジプト記4章10-18節

山岸 明牧師

  私たちの周りには自分に自信を持って生きている人たちがいます。しかし、その自信はどこから来ているのか、その自信の根拠は何なのか、とても大切な問題です。

  モーセはいつものように羊の群れを追って神の山ホレブに来たとき、神の声を聞きます。「わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々 をエジプトから連れ出すのだ」(3:9)。このときイスラエルの民はエジプトで長期間、奴隷とされていた。そのイスラエルの民をエジプトから脱出させる働 きをモーセに任した。

 モーセは言った。「私は何者でしょう」(3:11)私にはそのような能力も力も経験もありません。「だれかほかの人を見つけてお遣わしください」(4: 13)。私たちの自信の根拠を見ると、案外、能力、力、経験に頼っているところはないでしょうか。もちろんそれも大事なことです。しかし、それだけに私た ちの自信の源であるならば、空しく、いつか崩れ去ることを聖書は教えています。

 自信の持てないモーセに神は仰せられた。「わたしは必ずあなたと共にいる。」(3:12)「あなたが手に持っているものは何か。」(4:2)モーセの手 には「杖」がありました。主は「それを地面に投げよ」と言われた。彼が杖を地面に投げると、それが蛇になった。主はモーセに「手を伸ばして、尾をつかめ」 と言われた。モーセが手を伸ばしてつかむと、それは手の中で杖に戻った」(4:4)。私たちは自信が持てない時、自分の持っている物よりも、持ってない物 に意識がいってしまいます。神は私たちに無い物を要求して業を起こそうとなさる方ではなく、私たちの持っている賜物を用いて生かしてくださるのです。
 
 また、「わたしはもともと弁が立つ方ではありません」「だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」(4:13)と言うモーセに、神は怒りを表した が、見捨てることなく、雄弁である兄弟アロンを立てモーセの不足を補ってくださった。神は、共にいてくださるだけでなく、必要な助けをも与えてくださる。 この神こそ私たちが「自信を持って生きる」一番の根拠であり源なのです


 
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