「あ
なたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」(コロント(一)10:31)とあります。神の栄光とは何で
しょうか。それは、神の素晴らしさの現れであり、神の本質そのものです。「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を
表しなさい」(コリント(一)6:20)とあるように、私自身が神様の栄光を現していくのです。では、どのようにして栄光を現していくのか?
1. 神を礼拝する事によって。私たちは礼拝を通して神の栄光を人々に現して
いきます。礼拝とは、神を愛し、神を喜び、そして、神の目的のために自分自身をさ
さげていく生き方そのものです。「自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい」(ローマ6:
13)。礼拝は神の栄光を現し、そのことによって地域に対しても良き証となっていくのです。
2. 与えられた賜物を用いる事によって。神は私たち一人一人に、それぞれ
異なった賜物を与えて下さっています。これは私たちが自分勝手な目的で使うために
賜物をお与えになったのではありません。与えられた賜物は他の人の益となるために与えられているのです。「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているので
すから、神のさまざまな良い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」((一)ペトロ4:10)とあるように、賜物を用いて神の栄光を現してい
くのです。
3. 人々に神を伝える事によって「主に感謝をささげて御名を呼べ。諸国の民
に御業をしめせ」(詩編105:1)とあります。私たちは自分の証を周りの人々に
はっきりと伝えていくように命じられています。それぞれの体験談は人々の心に残ります。『クリスチャンになる前、私の人生は〜でした。キリストに出会って
私の人生は〜のようになりました。』まさに生き証人なのです。私の証は私にしか語る事はできません。「あなたがたの抱いている希望について説明を要求する
人には、いつでも弁明できるように備えていなさい」(ペトロ(一)3:15)と言われているように、常に語り、神の栄光を現していくのです。